昨日の続き)

本書は、様々な史料(エビデンス)をもとに歴史的事実を紹介している点が非常に面白い。淡々と事実のみを列挙している教科書とは異なり、その背景なども詳細に分かり、読みながら思わず唸る箇所もある。そのような背景を知ればこそ、日清戦争(1894年)日露戦争(1904年)をする必要があったのだろうかという疑問が残る。当時の「熱狂」がそうさせたのかもしれないが、かなり「強引に」武力で相手国に喧嘩を打っていったように思えなくもない(原敬の日記も史料として紹介されているが、それによると、日露戦争の時は、日本国民の多くは戦争を欲していなかったようだ。P202参照)。

第一次世界大戦(1914年)の参戦についても「強引」という印象。オーストリアの皇太子が親露的なセルビア人に殺害されたことが発端で始まったヨーロッパの戦争に、どうして日本がかかわってゆくのか? 当時の外相 加藤高明が、大正天皇の夏休み中に、日光の御用邸まで夜中におしかけて、参戦の許可をもらいに行ったという(元老の山県有朋などにはためらいがあったらしいが…。P230参照)。この加藤の妻は、三菱の創業家である岩崎家の出身で、選挙資金に困ることなかったらしい(P253)。財力があるから怖いもの知らずだったのか、同盟国であるイギリスも参戦はやめてくれと言ってきたのに、戦争に飛び込んでいく(P255)。日本の参戦については、一緒に戦うべき連合国であるアメリカからも一種の牽制を受けている(P261)。第一次世界大戦の始まりから、連合国であるイギリスやアメリカから牽制されてるのに参戦していくのだ。めっちゃ強引…。これにより、日本人のイギリスやアメリカへの反感が芽生えることになる(P263)。

なお、第一次世界大戦後のドイツへの賠償金が寛容であれば、第二次世界大戦は起こらなかったかもしれない、ということはよく聞く。「パリ講和会議」(1919年)では、ドイツから賠償金を絞りれるだけ絞りとることに戦勝国は熱中していたらしい。『雇用・利子および貨幣の一般理論』などの著書で有名な経済学者ケインズもパリ講和会議に参加しており、ドイツからの賠償金の額をできるだけ少なくすることを求めたという。しかし、ケインズ案は取らなかった。ケインズは、「あなたたちアメリカ人は折れた葦です」という手紙を残してパリを去ったという(P284)。「歴史に if があれば…」と思う。

その後の満州事変(1931年)日中戦争(1937年)は、「強引」というより「強欲」という印象。強欲に中国(満州国)に攻め込み、中国と決定的に対立を深めていく。なりふり構わず、めちゃくちゃなことをする。日本が国際連盟から脱退したのは、連盟から除名や経済制裁を受ける恐れが出たからだという。除名という日本の名誉にとって最も避けたい事態は避け、自ら脱退したらしい(1933年、P366)。中国の学者で駐米国大使にもなった胡適という人は、日本は、日米戦争や日ソ戦争が始める前に、中国に決定的なダメージを与えるための戦争をしかけてくるだろう、という自説を唱えたらしい(1935年)。その2年後に、本当に日中戦争が始まる。当時の日本のハチャメチャぶりが伺えるエピソードだ。

第一次世界大戦同様、第二次世界大戦(1941年)も、どうして日本が戦争に踏み切ったのか? 本書にこんなデータが載っている。開戦時、アメリカと日本は圧倒的な戦力差があった。国民総生産はアメリカは日本の12倍、すべての重化学工業・軍需産業の基礎となる鋼材は17倍、自動車保有台数は160倍、石油は712倍もあったのだ(P393)。当時の知識人は、開戦が「正気の沙汰ではなかった」と認識されていた(P394)。しかし他方で、中国だけを相手とする戦争ではなく、強いアメリカ・イギリスを主たる相手とする戦争に臨むことを支持する国民もいた。そういう方の文章(史料)には、開戦日(1941年12月8日)のことを「爽やかな気持ち」(P395)であったと書かれている。また、これから始まる大戦のことを「明るい戦争」だとも書かれている。これを読んだ時は、戦争に「明るい」なんて形容詞が付くものなのかと呆然とさせられたが、これが当時の人々の感性だったのだろう。

本書の最後に、興味深いデータが載っている。ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%すぎないが、日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%にのぼったというもの。日本軍の捕虜の扱いのすごさが突出しているように思えるが、それだけではないという。「自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格が、どうしても、そのまま捕虜への虐待につながってくる」(P469)ことも要因だと著者はいう。太平洋戦争において死没した日本兵の大半は、いわゆる「名誉の戦死」ではなく、餓死や栄養失調に起因する病死であったらしい。強欲により突き進んだ先に待っていたのは、「明るい戦争」なんてものではなく、(自国の兵士に食料を供給できない程に)ただただ悲惨な戦争だったのだ。

ここから我々は何を学ぶのか。
歴史は教訓である。

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長文の書評になってしまった。
まだまだ書きたいことがあるが、長文の書評はアクセスが減るので、この辺で。
たった一冊の本から私の関心は果てしなく広がった。
こういう本に出会えたことに感謝したい。