先日紹介した父が子に語る近現代史を読み込んだ後に、父が子に語る日本史を読み込んだのだが、結局、『古事記』や『日本書紀』といった「神話」を押し込まれた結果として「あの戦争」が起こったという建国神話の記述箇所に関心がいった。『父が子に語る日本史』は、この神話が実際の日本の歴史にどのように作用したかなどの話が、古代・中世に遡って展開される。しかし…、私はどうも古代・中世の歴史に興味が沸かない。

ならばと、この本と並行して、加藤陽子さんの『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読み返した(この本は、日清・日露戦争から第二次世界大戦までの期間を取り上げている)。文庫化された際にも一度読んで、目から鱗がボロボロと落ちたのだが、改めて読んでも、目から鱗が落ちた。良書は色褪せない。

この本は、歴史学者である加藤陽子さんが、栄光学園の中1〜高2までの生徒を対象に行なった特別講義をベースに編集したもの。中高生を対象にしたものといっても、結構レベルが高く、濃く、そして面白い。

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「戦争というものは、敵対する相手国に対して、どういった作用をもたらすと思われますか?」
という非常に難しい質問を学生に投げかけるところがある(P46〜)。

戦争というものは、相手国の土地・領土を奪ったり、人やモノを奪ったりという作用をもたらすだけではない。

長谷部恭男という憲法学者の『憲法とは何か』という著書を紹介しながら、戦争は相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序に変容を迫るものだという。別の言い方をすれば「憲法」の変容を迫るものだという。数年前に読んだ時も、この箇所に驚いたのだが、今回読んでもやはり驚いた。日本が戦争に負けて、日本は大日本帝国憲法と天皇制という憲法原理を連合国(GHQ)の手で書き換えられたというのは誰もが知っているが、アメリカは戦争に勝利することで日本の天皇制(=国体)を変えたのだ(P55参照)。現在の日本国憲法の前文部分は、リンカーンの演説(of the people, by the people, for the people…の有名な演説)と同じというもの面白い。

なお、この戦争の「作用」については、ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778) が、世界大戦が始まる200年も前に論文に書いていたというから驚きである(それを長谷部恭男氏が書籍で取り上げたらしい)。

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本書のタイトルにもあるように、日本人はなぜ「戦争」に踏み切ったのか。『父が子に語る近現代史』の著者 小島毅氏は、戦争の責任は「ふつうの人たちにことある」(同書P184)と述べていたが、それは一体どうしてなのか。

本書に、吉野作造の弟子 岡義武という政治学者が登場する。この学者は、第二次世界大戦前にヨーロッパに留学し、「日本の外交とイギリス外交の関係を一次史料からきちんとくらべた初めての学者」(P131)だという。この岡義武が1935年あたりに、「日本の民権派の考え方は、どうも個人主義や自由主義などについての理解が薄いように思われる。この点はヨーロッパと非常に違っている」というようなことを論文に書いたらしい。つまり、当時は個人主義や自由主義の思想が弱く、「まずは国権の確立だ!」という国権優先主義、合理主義が全面に出ていたらしい。当時は「国家>個人」だったのだ。日本の進歩や日本の開化を欧米に見せつける必要があった。

日清戦争前の外相 陸奥宗光は「如何なる手段にても執り、開戦の口実を作るべし」(P148)と述べ、福沢諭吉や他の国民も、日清戦争を諸手を挙げて賛成していたという(P140)。そうやって戦争に突入していったのだ。

明日に続く)