書店で何気なく手に取った本だが、これは大当たり。超オススメ。

大晦日に読み始めて、読み終えた時には年が明けていた。それくらい面白い本だった。
その後も何度か読み返したので、書評を書くのが遅くなった。

本書『父が子に語る近現代史』は、『父が子に語る日本史』という本の続編であるが、『〜近現代史』から読み始めても問題ない。『〜近現代史』が江戸以降、『〜日本史』が江戸までを中心に述べている。

本書が素晴らしいと思うは、 淵織ぅ肇襪里箸り)子供に語りかけるように平易に書かれていること、△劼箸弔両呂10ページ未満であること、G号に沿って出来事・人名を述べただけの教科書的な内容ではないこと、だこΔ任匹里茲Δ塀侏荵があったから日本で歴史的事実が生じたのかというように、よその国々の歴史と比較しながら日本の歴史を述べていること、ァ蔽者が思想史を専門としていることもあり)武士レベルや庶民レベルでどのような思想が生まれたから歴史が動いたのかという、思想を根底に我が国の歴史を述べていること、……などなど。こういう本を学生時代に出会っておきたかった。

例えば、鎖国体制で200年間だれも外国に行ったことがない中で、江戸時代に日本についての新しい自意識(美意識)が芽生え、それが革命の思想となり、「明治維新」を生み出した(注:かなりはしょって書いたが、詳細は本書第3章〜参照)というように、思想(意識)をベースに述べられている。こういった解説は非常に興味深い(なお、本書の内容とは反れるが、amazonで「江戸 思想」と検索すると、1000冊近い本がヒットする。日本の思想はこの時期に培われ、形成されてきたということだろう)。

歴史認識問題についても、思想をベースに解説している。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を取り上げているが、司馬遼太郎の作品は、何人かの学者からも「ゆがみ」を指摘されているらしい(「司馬史観」と言われている)。日本の歴史を美化し、韓国(朝鮮)に対して上から目線で描かれているが、「事実」を直視すべきだと提言している。事実に目をそむけ、耳にしたくない話をそむけて、日本の歴史を語ろうとする人のことを、(「自虐史観」との対比で)「自慰史観」と呼んでいるのは面白い。歴史とは、「僕たちは悪くない」という証拠を集めて、精神的に安心するというマスターべーションではないのだ。

夏目漱石も取り上げている。漱石の作品(特に『こころ』)は、彼が生きていた日露戦争から第一次世界大戦までの期間の歴史的背景を反映したものであり、日本人の精神構造が大きく変わった期間でもある、という話も面白かった(ちなみに、山本七平の『日本の歴史』(ビジネス社)でも、夏目漱石の『こころ』を題材にして解説している)。

民俗学者の柳田國男は、一般市民のことを「常民」と呼んでおり、「常民」たちは、必ずしも合理的・科学的な判断に従わない存在だと言っている。そして、著者も同じ考えのようである。「日本人はなぜ愚かな戦争に協力してしまったのだろう」、「善良な一般国民はなぜ政府に騙されたのだろう」という記述を見かけることが少なくないが、著者は、「そう判断する人たち自身が、『常民』の何たるかがわかっていないことを示しています」(P182)と述べている。つまり、明治時代の「常民」たちは、西洋から伝来した宗教や思想を学んではいたが、合理的・科学的に思考していた訳ではなかった。「そもそも、誰かが主体的に全体のグランドデザインを描いて遂行した計画ではなく、なんとなく雰囲気でそうなっていってしまったといわれるところに、日露戦争以降の歴史の恐ろしさがある」(P205)のであり、山本七平のいうところの「空気」により戦争に酔いしれていったのかもしれない。かつてのドイツでの国民の「熱狂」が第二次世界大戦に発展したといわれるように。日本国内にこういう「空気」があったため、醒めた目で戦争を批判するような人は、皆でよってたかって非難し、「非国民」呼ばわりしていたという(P214)。つまり、「戦争責任は、一部の政治家や軍人にだけあるのではないのです」(P211)、「『常民』の側に、進んでそれを受け入れようとした精神構造があった」(P193)、「僕は昭和の戦争にいたった責任は、ふつうの人たちにことあると考えています」、(P184)と。

E・H・カーの名著『歴史とは何か』において、「歴史は歴史家が選んだ事実でつくられ、大半が勝者による歴史である」と書かれていることは有名であるが、著者は「歴史は『常民』が作るものなのです」(P232)という。

本書の末尾において、出口治明さんが解説を書いているが、ここで出口治明さんは「僕は歴史は科学だと思っている。(略)少しでもファクトに近づこうとする試みが歴史なのだ」(P253)と述べているが、これには深く共感した。我々「常民」は、E・H・カーが言うところの「歴史家が選んだ事実」ではなく、「ファクト」を認識し、直視し、分析しなければならない。昭和史における戦争責任だけではなく、中国・韓国・台湾・香港のような隣国についても、どのような迷惑をかけてきたのかを知る必要がある(P236参照)。

歴史とは、人名や年号を暗記することではない。見たくないものであっても、耳にしたくないものであっても、きちんと事実を直視しなければならない。そして、自虐でも、自慰でもなく、事実を知り、事実を知らせる義務がある。本書で、父(著者)が子(読者)に伝えたかったことは、ここだろう。

とても勉強になる本だった。