考えない練習 (小学館文庫)
小池 龍之介
小学館
2012-03-06



私のビジネスパートナーが旧友と再会したら、その友達は10年以上にわたって鬱状態で、今では薬がないと寝ることができない状態だったという。根本的な原因は薬で解決できないと思うので、自分で乗り越えないといけないだろうが、そう簡単に乗り越えることができないことも理解できる。私も鬱病を経験したことがあるので。

今でも時々、鬱状態に陥ることがある。そんな時に、読書友達が紹介してくれたのが『考えない練習』という本。単行本版も含め30万部を突破したベストセラーの文庫版。著者の小池龍之介氏は、東京大学在学中に西洋哲学を先行していたという僧侶。

悩み事を抱えている人、考えすぎで疲れている人には、いいかもしれない。

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冒頭から、こんなことが書かれている。
思考を操れずに「考えすぎる」せいで、思考そのものが混乱して、鈍ったものになってしまいがち(P7)

考えすぎるから、思考が鈍るんだぞー! っと。

多くの方が年を取るにつれ「最近は年月が早く過ぎてゆきますからねえ」という話をするようになる元凶は、現実の五感の情報(データ)を、過去から後生大事に蓄積してきた思考のノイズによってかき消してしまうことに他なりません
(略)
この「思考病」、思考という病にかかりながら、少しずつ知らず知らずのうちに「無知」になり、呆けていっている(P27)

過去のデータに支配され、現実を見てないと、呆けるぞー! っと。

じゃあ、(正しい)思考とは何なのかというと、「無駄なエネルギーを使わない思考」(=その時に最も適切な必要最低限のことだけを考えて、無駄な思考や空回りする思考を排除すること、さらには煩悩を克服すること)だという(P30〜)

そのためには、感覚に(受動的にならずに)能動的になることを薦めている(P34〜)。例えば、「見えている」という受動的な状態ではなく、「見る」という能動的な状態に変える。「聞こえている」という受動的な状態ではなく、「聞く」という能動的な状態に変える。そうすることによって、多くのノイズに分散してしまった意識を、いま、なすべきことに絞って集中させることができるようになる(P37)。恋人と話をしている時は、仕事のことは考えず、「聞く」ことに意識を向けて集中する。著者は、これを「五感を研ぎ澄ます練習」だという。つまり、頭で考えるよりも、(目・耳・鼻・舌・身という)五感を使うという訓練。ちなみに、著者は、頭しか使わないことを「脳内ひきこもり」と表現している。表現が面白い。

これを読んだ時に、ショーペンハウアーの『読書について』という本の中で、「ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、、しだいに自分でものを考える力を失って行く」、「精神も、他人の思想によって絶えず圧迫されると、弾力を失う」と書かれていいたことを思い出した。

五感を横に置き、「脳内ひきこもり」になると、思考も精神も失われ、心の充足感も失われることになりかねない。不安、イライラ、怒りといったネガティブな思考にあるときは、「脳内ひきこもり」になっている可能性がある。一度、立ち止まって、自動反応を食い止めた方がいいかもしれない(P51 参照)。

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本書で赤線を引きまくったのは最終章(第8章)。

自分が相手の「ノイズ」になっていないだろうか。親切心という名の下の押し付けになっていないか、優しさという名の下のお節介になっていないか、自分の意見は正しいという思い込みになっていないか、自分は素晴らしいという錯覚に陥っていないか。

逆に、相手が「ノイズ」となり、自分の思考や精神を奪われることもある。「自己肯定感」という本を読み漁っている「自己皇帝感」が満開な人たちが、人の心の中に土足でズカズカと踏み込んでくることがある。岸見一郎氏もいうように、それが対人関係のトラブルの原因となる。

どちらの場合も、自分を客観視することが大切。そのためには、自分の心をコントロールし、「五感を研ぎ澄ます練習」から。まさに仏道ここにあり。