先日紹介した舟越美夏著『愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった』(河出書房新社)を読んだ後に、数年前に読んだ矢野久美子著『ハンナ・アーレント』(中公新書) を読み返したくなった。『愛を知ったのは〜』に「全体主義」の話があったため。

『人間の条件』、『全体主義の起原』の名著でも有名な哲学者・思想家ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906-1975)。本書は、彼女の凄まじい人生と、思考の変遷がまとまっている。

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彼女の人生は、末尾に記載した略年譜を見てのとおり、ナチス・ドイツの歴史そのものである。14歳の頃から、カント、ヤスパース、キルケゴールを読んでいたという稀有な才能と相まって、全体主義における「けっして起こってはならなかったこと」への理解への欲求が彼女の人生を決定付ける。彼女自身がドイツ生まれのユダヤ人であり、アウシュヴィッツ強制収容所に送り込まれてもおかしくなかった立場であったことも大きいだろう。

ナチによる死体の製造(大量殺戮)、ユダヤ人囚人たちによる死体の処理、ガス室の掃除といった「人間による人間の無用化」、「人間の尊厳の崩壊」など、その事態を直視することは「地獄を見るようなものだった」(P90)というが、アーレントは起こった事態について理解しなければならなかった(P92)。

30代でアメリカに亡命したアーレントは、本格的にモノ書き(評論活動)を開始する(その後、雑誌編集、教授職と渡り歩きながら、著述を続ける)。

本書を通読して痛烈に感じてくるのは、徹底して事態と向き合い、考え抜き、分析し、力強い文章を発しようとするアーレントの姿。あの有名な『イェルサレムのアイヒマン』の論稿など、アイヒマン及びナチの犯罪が狂人やサディストによって行われたというのは事実ではないという彼女の主張が、ユダヤ人を共犯者に仕立るように解釈されたことにより、非難の嵐になったこともあった。非難は刊行後数年経っても続き、その非難や攻撃は世界中に伝播し、文章を読んでない大量の人々からもバッシングを受け、批判運動や非買運動も繰り広げられ、遂には国家レベルの政治にまで巻き込まれることになったらしい。孤高なアーレントも、親しい友人たちからも絶縁されたことは、相当こたえたようだ。

ネットもない時代に、ペンだけでここまで批判に晒され、有名人となるわけだが、これは最近の「炎上」とは訳が違う。アーレントがそれだけ深く「事態」と直視し、思考の営み自分との対話)を妥協しなかった結果が生み出した産物だろう。彼女は、思考し、自由を求め、判断を行使する人びとが生み出す力こそが、世界の存続を支えると考えていた(P224〜)。

14歳から哲学書を読んできたというのもあるかもしれないが、全体主義の中で「普通の人びと」が(無思考に)体制に順応し、犯罪に巻き込まれていく事態と向き合ってきたからこそ、中途半端で抽象的な思考の営みを許さなかったのかもしれない。アーレントは晩年まで思考の営みを続けていたようだ。

カッコよすぎる。

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最近のネットから飛び込んでくる文章の「軽さ」や、それが簡単に「バズる」ことに辟易とさせられている。先日も、日本人の読解力が(世界的にみて)低下しているというニュースが流れていたが、圧倒的な思考の営みの欠如ではないだろうか。本を読まずに、ネット上の短い文章ばかり読んでいたり、自分と対話をせずに、スマホの画面ばかり見ていたり。日本人の読解力が低下していることについて、テレビのコメンテーターが、短い文章でも理解の練習になるのだから、SNSを教材に取り組んだらどうかと話していたらしいが、違うだろ…。

アーレントが思考のモデルとしたのはソクラテスであったらしい(P221)。私はアーレントのような人をモデルにしたい。非難や攻撃は望まないが、思考の営みの結果として生み出されたものを、社会に発信し、足跡を残したい、と常々思う。できれば、死んだ後も残るような書籍として。


【参考】ハンナ・アーレント略年譜
●1906年、ユダヤ人の両親の元、ドイツに生まれる
●8歳の頃から病気がち。この頃から両親の蔵書をひもとく。
14歳で哲学を学ぶことを決意。カント、ヤスパース、キルケゴールを読み始める。
●18歳の時に、17歳年上のハイデガーと不倫
 (しかもハイデガーの『存在と時間』の準備中に)
●20歳の時に、ヤスパースにも師事
●26歳の時(1932)、ナチ党が第一党に
●27歳の時(1933)、ヒトラーが首相に就任
●同年、逮捕されるも、運良く出獄でき、パリに亡命
 (パリでも、逮捕、絶滅収容所行きから運良く脱走する)
●33歳の時(1939)、ドイツ軍がポーランド侵攻、第二次世界大戦へ
●35歳の時(1941)、ニューヨークへ亡命、評論活動を行う
●37歳の時(1943)、ニューヨークでアウシュヴィッツの噂を聞く
●45歳の時(1951)、『全体主義の起源』刊行、アメリカ国籍取得
●52歳の時(1958)、『人間の条件』刊行
●55歳の時(1961)、アイヒマン裁判を傍聴
●57歳の時(1963)、『イェルサレムのアイヒマン』刊行
●同年        『革命について』刊行
●66歳の時(1972)、『暴力に付いて』刊行
●69歳の時(1975)、心臓発作で死亡


人間の条件 (ちくま学芸文庫)
ハンナ アレント
筑摩書房
1994-10-01



全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】
ハンナ・アーレント
みすず書房
2017-08-24