この本は、齋藤孝氏があるサイトで「読んでおくべきベスト本」として紹介していたもの。先日、(似たようなタイトルの)上田紀行著『生きる意味』を読んだところなので、何か関連性があるかと思い、買ってみた。

買ってから知ったのだが、著者の高 史明氏は、コ・サミョンと読む。戦前の1932年生まれの在日朝鮮人二世。本書は1974年に上梓されたものなので、もう45年前の本ということになる。

齋藤孝氏が「感動もの」として薦めるだけのことはある。すごい内容だった。
読了した後、読後感に浸る間もなく、もう一度読み返した、って本は久しぶりかもしれない。

3歳にして母と死別、父と兄の3人で極貧生活を送る。小学校に上がると、自分の貧しさや国籍から自信を失い、乱暴者になる。その矛先は父にも向かう。厳格な父は、息子たちへの厳格さ故に、深い寂しさにとらわれていながら、息子たちと分かち合うことができない。やがて、親子間でも「裂け目」ができる。孤独な父は、なんと、息子たちの前で自殺を図る(未遂に終わるが)。高等小学校(中学)に進学すると戦争が始まり、学徒動員として労働に出させられるが、そこで教師から壮絶な人種差別・暴力を受ける(今なら社会問題になるはず)。そんな辛すぎる人生を歩みながらも、父、兄、先生からの「人のやさしさ」を知り、生きることの意味を学んでいく。

そういう話。

貧困、差別、暴力、戦争・・・そういったものがすべて混ぜこぜになった状態に疲れ、やがて理性の力に見放され、それが暴力に化けていき、他人を傷付け、自分を壊していき、寂しさがにじみ出るような孤独に陥り、その寂しさが一層暴力に向かわせる。そういう「暴力の奴隷」(P144)、「暴力の泥沼」(P193)といえる生活を小学生時代から送っていた著者。

「あぁ、自暴自棄ってこういうことをいうのか〜」と、読んでいて胸が痛くなる。

生きていると、様々な困難に突き当たり、悲しみや絶望でいっぱいになってしまうこともある。それを環境や社会のせいにすることは簡単なこと。著者も、大人になってから、全てを社会のせいにして政治活動に参加することになるが、その行為については「誤りをおかしてしまった」(P242)と自省している。

自分が不安なのも、孤独なのも、環境や社会のせいではないのだ。国境や人種も関係ない。「やさしさ」を持つ人になるかどうか。それだけで見える世界が変わってくる。そして生きることのすばらしさが分かってくる。

本書はそういうことを教えてくれる。
生きづらさを感じている方は、是非手に取って欲しい一冊。