服従の心理 (河出文庫)
スタンレー ミルグラム
河出書房新社
2012-01-07



先日紹介したの舟越美夏著『愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった』の書評を書いた後に、本棚からミルグラム著『服従の心理』 (河出文庫)を取り出し、再読した。

本は、これまで読んだものと関連付けて読むと、理解度が何倍も変わる。


■ 善良な人がなぜ残虐な行為をするのか。

アメリカの心理学者、スタンレー・ミルグラム(Stanley Milgram)が、1962年にある実験を行った。それが、歴史に名を残すことになった『ミルグラム実験』。知ってる人は知っているが、知らない人は知らないと思うので、実験の概要から書いておく。

まず、「記憶に関する実験」を実施すると偽り、新聞広告を通して時給4ドルでバイトを募集した。実験室には、研究者の指示の下、先生役と生徒役に分かれ、一連のテストを行う。生徒が間違えると、先生が罰として電気ショックを与える、というのがこの実験(バイト)の内容。

電気ショックは、最初は45ボルトからスタートするが、一度間違えるごとに15ボルトずつ電気が強くなる。最大450ボルトまで引き上げられる。ちなみに100ボルトでも強い衝撃であり、150ボルトでは絶叫し、300ボルトでは壁を叩いて暴れるくらいになる。330ボルトを超えると無反応になるらしい。もう拷問であり、人殺しである。

ある段階から生徒役は叫び声を上げながら「実験を止めてくれ!」と懇願する。先生役も「これ以上続けたら生徒役は死ぬんじゃないか!?」と心配になる。

しかし、研究者はいう。
「続行してください」「何が起こって責任は私が取ります」と。

とんでもないバイトだ。怒りを覚える人もいるだろう。

この実験の結果はもっと衝撃。300ボルトに達する前に実験を中止した者は一人もいなかったのだ。そして、被験者40人中26人(65%)が450ボルトまでスイッチを入れたのだ。65%もの人間が、権威者が「責任を取るから」のコトバを聞いて、非人道的な行為に及んだと換言できる。

実は、この話には裏がある。バイトで集められた人たちは全員が先生役をやり、生徒役は全員「役者」だったのだ。実際は、電気は通っておらず、叫び声は演技であった。この実験は、「人は権威者の命令にどこまで服従できるか」の実験だったのだ。


そして、実験の結果、ミルグラムは次のように結論付ける。

各個人は、大なり小なり他人への破壊的な衝動の無制限な流れを抑えるための良心を持っている。だがその人が自分自身を組織構造に埋め込むと、自律的な人物にとってかわる新しい生物が生まれ、それは個人の道徳性という制約にはとらわれず、人道的な抑制から解放され、権威からの懲罰しか気にかけなくなる(本書エピローグより)

つまり、自分が理性的で「自律状態」にあったとしても、ある組織に入った途端に権威者の願望・要望に従って行動する「エージェント状態」(=自分とは別の代理人の状態)に移行し、その移行が起こったら、自由に元には戻せるものではなくなってしまうのだ(第10章参照)。

そして、ナチスのアイヒマンがユダヤ人をガス室に送り込んだことも、アメリカ軍がベトナム戦争で非人道的な行為を行ったことも、彼らが悪魔だったわけでもなく、サディストだったわけでもなく、「自分に割り当て割れた任務を実行しているだけ」であり、その日一日を切り抜けて生き延びるだけでも一苦労なのに「道徳について心配している暇などない」、などとミルグラムは主張した。

この実験やミルグラムの主張は、倫理的に問題があると厳しい批判に晒されたらしい。しかし、「人間の残虐性」「服従の心理」というものが、必ずしも人間に備わった攻撃性や破壊的な衝動によるものではなく、こういった「人間の残虐性」「服従の心理」がいまでも地球上から消えず、自分にも、あなたにも、こういった「人間の残虐性」「服従の心理」が起こりうる、ということをこの実験は教えてくれる。

もし、自分が権威者から「責任を取るから」と言われたら、450ボルトの電気を流すだろうか。

ちなみに、この実験は、アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちが、なぜあのような残虐行為を犯したのかという疑問をを検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言われている(この実験は「アイヒマン裁判」の翌年に実施された)。

実際の実験の動画がある。興味ある方はこちらのサイトの動画を見て欲しい。2分程度なので。

このサイトにも書かれているが、「人は誰でもアイヒマンになりうる」のだ。恐ろしいことに。しかもそれは、組織に属さなくても、権威者からの指示がなくても、起こりうることは知っておいた方がいいと思う。本書において、ある被験者(先生役)が、電気ショックを加えたことへの後ろめたさを隠蔽すべく、被害者(生徒役)を見下し、彼らの無能さに責任転嫁することで自分を正当化しようとしたという記述がある。この記述は色々と考えさせられた。差別、暴力、いじめ、ハラスメントや、相手を傷付ける言動の多くが、これに当てはまるのではないだろうか。相手を傷付けた言動を正当化するために、後から理由が捏造される。私も、相手の異常・邪悪な言動により傷付けられ、さらにあることないこと言われ、批判されたことが何度もある。その都度、相手の行為に悩み、恨んだ。しかし、このミルグラム実験は教えてくれる。こういった異常・邪悪な言動が、必ずしも良心の欠如ではないということを。こういった人間の心の動きを知るだけでも、人は穏やかに、幸せに生きていけるのではないだろうか。


(※ これを書くにあたり、本書「訳者あとがき」とwikipediaの記述を参照し、一部引用した。)