「大人の流儀」シリーズ、もう9巻目。なんやかんやと全巻読んできた。伊集院静さんの小説は読んだことがないのに、なぜかこのシリーズは読んでしまう。共感できることが多い。文章だけでなく、思考とか生き様とか。

第9巻のタイトルな『ひとりで生きる』

毎回、哀愁漂うテーマだ。

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そういえば先日、病気になって療養中の友から、「今、生きているのは何故か、これからどうやって生きていくのか」といった生きる意味をずっと考えてる、という内容のメールが届いた。

ネガティブな時や、無力を感じる時に、人は根源的な問いをするものだと思う。生きるとは、死ぬとは、幸せとは、愛とは、怒りとは、ってことを。

ソクラテスの名言を思い出す。
もし良い妻を持てば幸せになるだろう。もし悪い妻を持てば哲学者になるだろう。
("By all means marry; if you get a good wife, you'll become happy. If you get a bad one, you'll become a philosopher")』(『世界名言大辞典』より)

紀元前にホンマにこんなことを言った人がいるんか…とも思うが、至言である。

アウシュビッツ強制収容所から生き延びた精神科医ヴィクトール・フランクルは、溶け落ちた人間の最後の力になったのが「他人の存在」だったという。人間はひとりでは生きていけない。極限状態に追い込まれた時に、精神的な支えになるのは、哲学でなく、「他人の存在」なのだ。他人がいるから哲学が生まれる。

生きている限り、ひとり孤独になることもあれば、絶望になることもある。生きる意味を考えることもある。私なんて365日そんなことを考えてる。でも考えすぎて自分の精神や神経を破壊したら元も子もない。「生きてくなんてそんなもん」「人生なんて所詮フィクション」くらいに思っていた方がいいと思う。世の中には自分よりももっと絶望してる人もいる。邪悪な人間もいる。何事もなくしあわせと思える方が奇跡だというくらいに思っておいた方がいいと思う。

えらく前置きが長くなったが、本書のこの箇所に、とても共感した。

人は、人生の中で、いかなる人と出逢ったか、ということに尽きると思う。

(略)

人というものは、人の生というものは十人の暮らしには、十のそれぞれ違うかたち、事情があるのが当たり前のことなのである。

いつも言うように ”しあわせのカタチは多少の差はあれ、ほとんどが同じような表情をしているが、不幸、哀しみのカタチは驚くほど、その状況が違っていて、哀しみの淵にいる人々は、戸惑い、途方に暮れ、どうしたらよいのかとうろたえるのである”

その上、しあわせの領域にいる人より、不しあわせの状況にいる人の方が圧倒的に多いのが世間というものなのである

それでも私たちは生きて行くのだ。生きて行くことを否定したり、拒絶することは、自分を生んでくれた人、運命に対して、不遜以外の何ものでもない。

ーーーーそれでも生きなさい

それが私の考えである。

(略)

世の中にはあなたたちよりもっと大変なのに懸命に生きている人がいることを忘れないで欲しい

最後の一文は要冷凍保存。

ギンギラギンにさりげなく、生きていくだけさ。