紀伊國屋書店で平積みされていた本。
表紙の写真は、子どもが銃を持って微笑んでいるようにも見える。
書店に行くと、思いも寄らない本に出会い、買ってしまう。

著者舟越美夏さんは、元共同通信社のジャーナリストで、過去にポル・ポト派最高幹部を取材した『人はなぜ人を殺したのか ーポル・ポト派、語る』という本も上梓している。

昨日紹介した伊集院静さんの本「世の中にはあなたたちよりもっと大変なのに懸命に生きている人がいることを忘れないで欲しい」と書かれていたが、本書を読めば、世の中には自分の想像を絶する世界があり、自分より何百倍もつらい想いをしている人がいることを痛感する。

本書は、ポル・ポト派最高幹部への取材録だけでなく、戦争や紛争で多くの敵を殺害した兵士や、自爆テロの計画を立てた女性、焼身自殺を図った少女の親族などへの取材・インタビューの記録である。「よくそんな人たちに会えて、しかも取材できたなぁ〜」と驚きの連続だった。

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第2章の元ロシア軍の兵士の話は顔を歪めた。チェチェン紛争の際に、チェチェンの村を焼き、多くのチェチェン人を殺した、自他共に「悪魔」と呼ぶ/呼ばれたこの兵士(この男は多くの敵を殺害し勲章までもらっている)は、自ら志願して特殊部隊に入隊し、10年以上も「戦争」を仕事にしてきた。戦車や銃で相手に攻撃するだけではない。敵を拷問し、頭を金具でぶち割ったこともあるという。さらに処刑した遺体の顔と股間に爆薬をくくりつけ、地面に掘った穴の中で爆破したりもした。粉々になった遺体は見つかることはなく、5000人以上が「行方不明」になったといわれる。

なぜ、人間はこれほど残虐な行為に及ぶことができるのか。これは「ミルグラムの実験」の通り、権威者(上官)から指示・命令されたら、国家の治安や正義を理由に服従するのである。

この「悪魔」と呼ばれるまで人を殺した兵士は、上官から次のような命令を受けていた。

『戦う時は、感情も疑問も忘れろ。考えることを捨てろ。これは仕事だ。さもないとおまえは殺される。』(P66)

そして、「悪魔」はこれに服従した。しかし、自らの命を危険に晒し、部下を失い、敵を殺す中、自問自答する。「本当は誰のためなのか。この苦しみはいつまで続くのか。」と。

精神的な限界を超え、「悪魔」は除隊するが、その後も苦しみから逃れることはないようだ。ウオッカを体に満たすことで苦しみから逃れる生活を繰り返している。

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第7章も顔を歪めた。こちらは拷問を受けた側の人物への取材録である。この人物は、「911」の後、アルカイダの重要人物であると疑われ、アメリカ兵士に拷問された。この時の様子が書かれているが、これはエグい。単なる拷問だけでなく、女性兵士からレイプもされている。「男だって望まない性行為を強いられたら傷つくんだ」(P209)。そりゃそうだ。

彼は何度も兵士から殴られたという。殴られている間は、他にすることがないから、自分を殴る兵士を観察していた。彼の言葉が余韻に残る。

『苦しんでるのを見て興奮するサディスティックな人もいるけど、大方の人間はそうではない。(略)だから、若い兵士が気の毒だったよ。自分の中の善意に従わず、人を拷問した経験に一生苦しむんだろうってね』(P210)

拷問は、手を下す側の人間性を殺さなければ出来ない行為である。命じられた者は、人間性を殺して実行することにより、精神的な傷を負う。彼はそれを見抜いたのだ。(P224)

彼は、15年もの間、米国から不当に監禁され、拷問され、拘禁された。もちろん精神的なダメージや後遺症が残った。しかし、それでも彼は「許す」という。なぜなら、「憎しみに支配されたくないから」(P234)。憎しみは頭の中で敵に力を与え、自分はその奴隷になってしまう。彼が求めているのは「自由」なのだ。許しは自由のため。

こんなことをされてまで「許す」ということに驚いた。彼はイスラム教徒であり、イスラム教は「許すこと」と「愛すること」を教えるらしい。「アラーは、最も愛する人を試すのだ」という言葉が収容所の日々の中で唯一の慰めだったと、彼は手記に書いているらしい。

ちなみに、彼(モハメドゥ・ウルド スラヒ)の手記は米国でベストセラーになり、日本語訳も『グアンタナモ収容所 ー地獄からの手記』というタイトルで出版されている。いつか読みたい。

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最後に、第4章も凄まじかった。ポル・ポト派ナンバー2の、冷徹な計画の実行を指示した人物にまで取材をしている。ポル・ポトほど残虐な人物はいないと思っていたが、やはり凄い内容だった。知識人をことごとく暗殺したというのは有名な話だが、スパイと思われる者もことごとく処刑している。しかも処刑を担当するのは非知識人の農民などで、そこには10歳の子どもも含まれている。

後ろ手に縛った男を、10歳の子どもが銃で撃つ。「スパイは抹殺しなければならない」という権威者の指示に子ども達も服従する。恐ろしすぎる。

引き金を引いたことがあるポル・ポト派兵士にも取材をしている。
『楽しくなんかなかった。でも悲しくないんだ。ただ頭を空っぽにして撃つ。ダダダダッと。それだけだ』(P121)

第2章のロシア兵が言っていることと似ている。人を殺す時、人に服従するときは、感情を挟んではいけない。考えてはいけない。頭を空っぽにしなければならない。

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本書を通して感じることは(V.フランクルの本を読んでも感じることであるが)、人間には恐ろしいほどの「残虐性」があるが、「他人との存在」が生きる糧であり、「他人を愛すること」も本性である、ということだ。「哀しみや苦しみの底に沈む経験をした人ほど、他者に抱く愛情は大きく、深い。生も死も、敵さえも包み込む大きな愛は、当事者を救っているだけではなく、周囲の人々も救い、力を与えている。」(P240)

本書を読み終えた時、「死ぬときに後悔するのは、復讐できなかったことより、愛さなかったことだろう。」と帯に書かれている赤坂真理さんの推薦文の意味が理解できた。