生きる意味 (岩波新書)
上田 紀行
岩波書店
2005-01-20


この本の初版は2005年。その頃、かなり話題になったと記憶してる。

先日紹介した、山竹伸二著「『認められたい』の正体」(講談社現代新書、2011)を読んだ後に、本棚から十数年ぶりに本書『生きる意味』を取り出して、再読した。

この本は、こんな一文で始まる。

私たちがいま直面しているのは「生きる意味の不況」である。

どういうことか。

戦後の日本人は、「他の人が欲しがるもの」=「私の欲しがるもの」であった。三種の神器(洗濯機、TV、冷蔵庫)や、マイホーム、クルマ、ブランド品などを手に入れることが「生きる意味」となっていた。そのため、「他者の欲求」を生きることを無意識に植え付けられていた。しかし、バブル崩壊とともに、そのような人生観も崩れ去った。

だが、「他者の目」を強く意識しながら行きていた日本人の自我の構造はそう簡単には変わらない。ルース・ベネディクトが『菊と刀』(1948)で指摘したとおり、欧米などの「罪の文化」と対比し、日本は「恥の文化」である。

常に「他人の目」「世間」を強く意識するから、日本人は「人生の質」より「数字」を優先し、「数字」を信仰してきた。年収、年商、偏差値、点数、寿命・・・など、数値が大きければ良いと信じてきた。しかし、「数値」を追いかけなればならない動機が明確でないのに、常に数字を追い求めるから、「生命力」を失っているのではないか。

例えば、親は子供に「そんなことをしていたら世間では通用しないのよ!」と他人と比較するような躾をする。一見愛情深い親を装っているが、「条件付きの愛」を押し付け、親の期待に沿う「いい子」に育てているにすぎない。子供は「ひとりの人間」であることを無視されるため、自尊心を傷つけられ、いつまでも大人になりきれず、無力感と虚しさにうちひしがれる。

また、病気になると「寿命が一年でも伸びるならそのほうがいいじゃない」と患者側でも安易な選択を繰り返してきたため、検査漬けの生活を送ることになる。抗がん剤治療を行った結果、辛い闘病生活に入り、人生を振り返ることすらできずに他界される人は少なくない。

経済が成長し豊かになってきたが、そこに「中身」がないと感じる人が多いと思うそれは「他人の目」や「世間」を意識しすぎるあまり、自分自身が「かけがえのない存在」ではなく、(誰とでも交換可能な)「どこにでもいそうな存在」に成り下がっているからだ。数字や効率性を追い求めすぎた結果、生きる意味を見失っている。

これが、著者のいうところの、戦後日本の「生きる意味の不況」の正体・原因なのだ。

いまは「モノの時代」ではないし、数字や効率性を追い求める時代でもない。いったん立ち止まって「人生の質」(Quality Of Life)を追い求めるべきである。そこには「他人の目」や「世間」を意識する必要はない。自分自身の心に素直になって、自分が本当に求めているものに従って生きていくべきである。著者はいう。「誰でも自分の人生を創造することができるのだ。あなたはあなたの人生の主人公なのだ」(P137)と。

私たちは、他人と比較するのではなく、「成長を内側から見る目」が求められている(著者はこれを「内的成長」と呼んでいる。P143)。それは、自分自身の「喜び」や「苦悩」に向かい合うことであり、抑圧された自分自身から「我がまま」に生きることへの転換でもある(第6章、第7章参照)。

モノの時代から心の時代になったと言われるが、我々は「内的成長」を繰り返し、自分自身が「かけがえのない存在」だと意識できているだろうか。自尊心を取り戻しているだろうか。親、家族、恋人などから「無条件の愛」によって愛されるに足る存在だと知ることができてきるだろうか。

個人が「内的成長」により自律し、さらに、互いの存在を承認し、互いを尊重し合える関係・社会になれば、非常に幸せだと思う。私もそういう人間関係を求めてやまない。