先日の「存在承認の大切さ」というエントリーの続き。

朝日新聞(2019/9/4朝刊)に掲載されていた「ひきこもり」の特集記事で、あるひきこもり経験者が、ひきこもりは「現代の生存戦略」と述べていた。これは非常に共感できる。

「世間」や「他人」を気にするあまり、同調圧力が強く、「自分らしさ」や「個性」を殺す空気がある。本来、「人と違うこと」が素晴らしいことなのに、家庭でも学校でも職場でも「人と違うこと」よりも「他人と同じこと」が称賛されることが多い。他人と同じように宿題をし、他人と同じように良い点数を取り、他人と同じように真面目に働くことが評価される。

で、他人から評価されるため、また、他人から受け入れてもらうために、「自分らしさ」や「個性」を殺し、「他人の欲求」を生きることになる。

山竹伸二著「『認められたい』の正体」(講談社現代新書、2011)によると、多くの人が家族に対しても本音を隠し、「ありのままの自分」を過度に抑制し、家族の求める役割を演じている。若い人の間でも、他人の言動に同調した態度を取り続ける人が少なくないという。著者は、このような他人の気を使うコミュニケーションのことを「空虚な承認ゲーム」と呼んでいる。

なぜ人は「空虚な承認ゲーム」を繰り返すのか。それは、「他者の承認は自分の存在価値に関わる、最も人間的な欲望であり、長期にわたってそれなしに生きていける人間はほとんどいない」(前掲書P28)から。換言すれば、他者の承認なしに「人生の意味」、「生きる意味」を感じることができないから(同P49、P76〜)。

誰からも存在承認をされない苛立ち、不安、虚無感、抑うつ感が、他人に対する無関心につながったり、自分の感情を抑えたり、空虚な行動をとったりすることにつながるのだろう。2008年の秋葉原でおきた無差別殺傷事件の加藤被告は、事件前にネット掲示板にモテないことへの恨みを綴っていたらしく、承認の枯渇が原因ではないかと言われている(同P17〜)。

「ひきこもり」というのは、心身共に疲弊した自己を防衛し、他人を回避するための生存戦略だということは、自らの経験からも理解できる(私も軽度のひきこもりだから)。

ひきこもる人間を、同調圧力や外的コントロールによって動かそうとする人が多いと思う。しかし、生存戦略として(命がけで)ひきこもっているのであるから、ひきこもる人間を力で動かすことなんてできない。そういうことをするとますます他人を回避する(=ひきこもる)と思うし、何を言われようがそれを聞く前に耳をふさいでしまう。

大切なことは「存在承認」だと思う。自分にも他人にも「ありのままの自分」を認めることだと思う。存在を承認されず、他人と比較され、機械のように扱われた人間に、自己肯定感も存在意義もない。そうやって感情まで消えていくのだ。

ひきこもっている人も、「ありのままの自分」を認めることが大切だと思う。他人に振り回されず、他人との境界線を引くこと。ここまでは受け入れることができるが、ここから先は受け入れられないと、キチンと自己主張すること。自分自身の心に素直になって、自分が本当に求めているものに従って生きていけばいいんじゃないかと思う。まさに、No Fun,No Life! だ。私も不器用ながら、傷を負いながら、そうやってなんとかここまで生きてこれたような気がする。