コーチングの教科書を読んでいると「存在承認」というコトバが出てくる。相手の「結果」や「プロセス」を承認するのではなく、「存在」してくれていること自体を承認するということを「存在承認」という。

例えば、子供の試験の点数(結果)が良かろうが悪かろうが、生まれてきてくれたことに対して有難うという気持ちを伝えること、家族・恋人の自分に対する行い(プロセス)の如何に関わらず、そこに居てくれること、傍に居てくれることに対して有難うという気持ちを伝えることを「存在承認」という。

最近、「存在承認」の大切さを感じている。

もし人間が誰からも「存在承認」を得られないとしたら、別の言い方をすれば、結果プロセスでしか褒められないとしたら、相当生きるのが辛いと思う。さらに、結果プロセスすらも褒められず、何をしても批判されたり、ガミガミ言われたり、他人と比較されたりしたら、人と接することも面倒くさくなると思う。

でも、批判、ガミガミ、同調圧力による過剰な抑圧・ストレスが多くの人にのしかかっているのではないだろうか。他者に対して「存在承認」をすることも大切であるが、他者から「存在承認」を得ることも大切だと思う。人間関係が面倒くさくなることや、世間から逃避したくなることや、ひきこもりたくなることの根本的な原因は「存在承認の飢え」なのではないかと思う。

今朝、宿泊しているホテルの部屋に持ってきてくれた朝日新聞(2019/9/4朝刊)を読んでいたら、「ひきこもり」の特集記事があった。そこで某大学教授が、我が国の自殺率が先進国の中で最悪レベルなのは「世間」が生み出す同調圧力が異様に強いからだ、と述べていた。「世間」に縛られる息苦しさがある。家族・同僚・恋人といった身内のような存在であっても、それぞれの人格を尊重すべきである。「世間体」を意識するあまり、相手の人格を無視することは最悪最低だと私は思う。「存在」を承認することがどれだけ大切かと、つくづく感じる。