書店の新刊書コーナーに『モンテーニュ』というタイトルの新書があり、中も見ずに購入した。あの名著『エセー』(『随想録』とも訳されることがある)の著者、モンテーニュ(1533-1592)である。

読んでから気づいたが、本書の著者、宮下志朗氏はモンテーニュの『エセー』の白水社版(全7巻)の翻訳者であった。2,400ページにも及ぶ全7巻を翻訳された方であるから、「日本で一番モンテーニュに詳しい方」かもしれない(違うかもしれんけど)。私は全7巻も読みきれないと思い、中公クラッシックス版(全3巻に圧縮したもの、荒木昭太郎訳)しか読んだことがないが、この3巻でもかなりの分量である。

本書は、その『エセー』の魅力をコンパクトに伝えるもの。107章に及ぶ『エセー』から、7つのテーマ(わたし…など)を抜き出し、『エセー』を引用しながら、『エセー』の面白さを解説してくれている。「エッセイ集についてのエッセイ」といった内容(ちなみに、『エセー』(Les Essais)とはエッセイの意味)。

本家本元の『エセー』を読むより面白い。

著者 宮下志朗氏は、モンテーニュのことを「いい意味での自己中心主義(エゴイズム)」(P31)だという。モンテーニュは「他人に自分を貸す必要はあっても、自分以外に自分を与えてはならない」(P30)というのが持論。「わたしはわたし」(=他人は他人)。モンテーニュは判事であり政治家(ボルドー市長)でもあったのだが、仕事は「芝居」であり、「役者」として演じているだけで、「仮面」を被ってるにすぎず、自分の意志を成約してはいけないとも言っている。これは、いわゆる「自己チュー」とは違うと思う。「わたし」の自由や権利に対する極度のこだわりであり、私もこのような「自己中心主義(エゴイズム)」は大いに共感する。

判事や政治家といった名誉や地位を捨て、残りの人生を『エセー』の執筆に注ぎ込むというモンテーニュの生き様も私は大いに惹かれる。「残されたわずかな余生を、世間から離れてのんびり過ごそう、それ以外のことには関わるものかと心に誓って」(P35)孤独の場所に引きこもる。孤独は「精神の自由」(P39)であり、孤独が「むしろわたしを外に向かって大きく広げてくれる」(P57)という考えも私は共感する。最近の薄っぺらの孤独論とは重量が違う。

名誉ある仕事を手放して隠居するというのは、なかなか勇気のいることだと思うが、「仕事の成果を手放さないかぎり、仕事から離れるのは不可能なのだから、名声や栄誉といった心配ごとは、すっかり捨ててしまうのだ」(P63)とも言っている。先日香港で会った旅人からも全く同じことを言われた。仕事を辞めようと思ったら、今まで築いてきたものを全て失ってもいいっていう覚悟と踏ん切りだけだと。どこかで今の仕事に区切りをつけたい私には貴重な助言である。

モンテーニュは、旅についても、人生と重ね合わせて、このように述べている。
「わたしの旅の計画は、どこでも分割可能なものであって、大望に基づいているわけではない。つまり、その日一日の旅が、旅の終わりなのだ」(P98)と。そして、「わたしの人生の旅も、同じようにしてすすめられてきた」(同)と。

そして、このようにも述べている。
旅の喜びというのは、(略)まさに自分が落ち着かず、定まらない状況の証人になれることにあるのだ」、「だからわたしは、正直にいっておきたい――わたしの場合、夢や希望のなかにさえ、自分がつかまっていられるようなものはなにひとつ見つからないのだと。」(P97)

旅も人生も、明確な目的地があるわけじゃないし、行ったり来たり、彷徨ったり、あちこち歩き回るものであり、最後まで行かなくたっていい、ということが言いたいのだろう。

私も(モンテーニュと同様に)いい意味でのエゴイストで、ポジティブな孤独であることは認める。だからこそ自分を偽り、殻を被って生きていくことはしたくない。素直で純粋で自由な心をもったまま、あちこち彷徨う旅人でありたい。本書を読んでますますそう思った。

それにしても岩波新書と中公新書はヤバい本が多いなぁ。ハマると抜け出せない。本書もハマった。1週間に3度も読み返した。超オススメ。



エセー〈1〉
白水社
2005-10-01