中島義道_不幸論


昨年から「人間の異常性・邪悪性」が関心の一つとなり、心理学・哲学の本なんかも読みふけっていたら、哲学者カントの研究家 中島義道氏に行き当たり、『不幸論』というタイトルの本があることを知った。タイトルに惹かれ購入し、ダナンのプールサイドで没入して読破した。

「私は、私の乏しい人生からこれが幸福だと言えるものを探り当てることができなかったし、『これが幸福だ!』と語る人をいつもうさんくさい眼で見てきた。

むしろ、私は本書で、世の中の幸福論が総じて嘘くさいことを言葉を尽くして語りたいのだ。いかなるものを幸福としてもってきても、やはり人間はしょせん不幸なのではないかという私の実感を、どうにかして言語化したいのである。

幸福になる秘訣などどこにもない。あるとしても、それは、真実を見ないで睡眠術にかかる秘訣のようなものである。」(P88〜)

人生は、恐ろしく理不尽であり、徹底的に不平等であり、修羅場である。世の中にはどうにもならないことが多くある。幸福を期待しても手の中から滑り落ちてゆき、期待するから振り回せれることになる。そして絶望する。そうしながら、すべての人はたちまち死んでいく(P13、P70、他)。

だから著者は、「人生はどうころんでも不幸」(P13)だと断言する。

もしあなたが幸福と感じるのであれば、それは「大いなる錯覚」(P114)であり、「幻想」(P157)であり、「自己防衛や自己欺瞞にまみれた産物」(P170)に過ぎないとまで言い切る。

アラン、ラッセル、ヒルティが書いている『幸福論』という歴史的名著(3大幸福論)についても全否定し、こんなものを読んでも幸福にはなれないし、「まやかし」(P89)であるとまで言っている。

結論として、我々が幸福になることは「ほとんど不可能」(P157)であり、その事実を受け入れるべきであり、不幸を自覚して生きるべきだと述べている。

言い方を変えれば、自分をごまかして生きるのではなく、不平等や理不尽な人生を認めた上で、いかなることにも期待しない態度で、死さえも恐れない態度で、強く生きろというメッセージとして受け止めた。

ニヒリズム(虚無主義)にもみえるが、幸福なふりをして自己欺瞞に浸るよりも、そういう態度で生きる方が精神の安定が得られるに違いない。うなずける箇所が非常に多い内容だった。



不幸論 (PHP文庫)
中島 義道
PHP研究所
2015-05-02