2024年からの新紙幣(一万円札)の顔に採用された渋沢栄一。

先月のSBMセミナーで渋沢栄一の話をしたのだが、意外と渋沢栄一を知らない受講生が多かった。

私もそれほど詳しい訳じゃないけど、生涯に約500の会社設立に関わったという、とんでもない起業家・実業家である。設立に関わったという企業には、東証、東京ガス、キリンビール、サッポロビール、帝国ホテル、東京海上HD、みずほ銀行、王子製紙、東洋紡・・・といった錚々たる企業もある。三井や三菱を超える財閥を作ることも出来たであろうが、渋沢栄一は大株主として会社を支配するという考えはなかったらしい。資本主義勃興期だった当時、資本家に出資させ、経営を他人に任せる株式会社制度を定着させることを優先したのだ。その貢献を称え、『日本資本主義の父』とも称されている。

キャッシュを使うことはホントになくなってしまった今、「なんで新紙幣やねん!」ってツッコミを入れてしまったが、日本の紙幣の顔に相応しい人物だとは思う。

渋沢栄一の有名な著書に『論語と算盤』がある(初版は大正5年,1916年)。最近は現代語訳も出版されている。私はちくま新書のものを愛読している。経営者、起業家の方は必読書。

私が独立・起業したのは2005年で、ITバブルにより数百億円を手にする20代・30代起業家がゴロゴロと誕生した時期でもあった。「金儲けは悪いことですか?」というコトバを残して収監された人も出てきた時期でもある。資本市場がちょっとおかしなことになってるなぁ〜って時期に『論語と算盤』に出会えたのは、とても運が良かったと思う。

本書において、『経済道徳合一説』という理念を打ち出している。その名の通り、「経済」と「道徳」は合一だという考え。『右手に論語、左手に算盤(そろばん)』という言葉は余りにも有名だ。

論語とソロバンは一致させるべきものである(P97)

本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではないと考えている(P86)

独立してから多くの経営者と接する機会があったが、「尊敬できる経営者」に共通していることは、皆が『右手に論語、左手に算盤』という両手のバランスが取れていることだ。バランスが狂っている人は、長続きしない。

私はここでいう『論語』を人間学、哲学、思想に、『算盤』を会計学、マーケティングに、それぞれ広く解釈している。まだ独立して14年しか経っていないので、人間学、哲学、思想なんて身に付いているとは到底思えないが、経営に大切なことは道徳観、倫理的価値観であるという考えだけは独立した直後から持っているつもりだ。

渋沢栄一は決して富を得ることが悪いことだとは言っていない。まっとうな富は、正しい行動により手に入れるべきものであり、道理を伴わない富なら貧しい方がマシだ、ということを言っている。私もそう思う。先日も書いたとおり、富は後からついてくるものであり、追いかけるものではないと思っている。金の亡者のような人は多いが、私はそういう人とは付き合わない。

『論語と算盤』や『論語』をきっかけとして中国古典も随分と読んできたが、それらの中で最も好きなコトバが『天網恢恢疎にして漏らさず』というコトバだ(老子より)。天の網の目は粗いように見えるかもしれないが、決して悪を逃すことはないという意味だ。他人に嘘を付いたり、騙したり、蹴落としたりしながら、自分だけが満足できればいいと思っていても天罰を受ける。悪は裁かなくても自爆する。

私は、巨富を得たいとは思わないが、尊敬される会計士でありたいとは思う。そのためには会計学だけでなく人間学を学ぶ必要がある思っている。残りの人生、自分の思想・哲学を完成させるという闘いだと思っているし、生きるとはその闘いに挑み続けることではないかと最近思い始めた。