致知出版社


6日の朝刊に致知出版社の全面広告が載っていた。雑誌『致知』の創刊から41年も経ったらしい。私が『致知』を定期購読をした後に創刊30周年の全面広告を見た記憶がある。書店で売ってない雑誌に全面広告、しかも創刊30年・・・すごいなぁ!と驚いた。あれから11年も経ったのか。会計・税務の専門誌以外に10年以上も定期購読している雑誌は『致知』だけだ。

10年前は「人間学の探求」というものに少し背伸びをして読んでみたに過ぎない。10年前の私は、まだ自分の生き方・働き方に揺らぎがあったので、世界を代表する経営者・著名人や、角界の代表者・成功者がどういうモノの見方・考え方をしているのかを覗いてみたかったという知的好奇心のようなものが湧いていた。『致知』を読むと、これまでビジネス書で知った経営者像・成功者像とは全く違う世界があることを知った。それが「人間学」だ。彼らは、人物を創っている。人はいかにあるべきか。人はいかに生きるべきか。どのように精神を鍛え、どのように運命を開くのか。これまで考えたこともなかったようなことが、毎号、書かれている。「致知の何が面白いんだ!」と言われたことは何度もあるが、浅学非才の私には新鮮過ぎる内容に思えた。

『致知』と出会った頃に中国古典を読み始め、東洋哲学、東洋思想、西洋哲学、西洋思想などにも関心をもつようになった。安岡正篤や森信三というとんでもない人物を知り、彼らの本も読み漁った。人生の原理原則のようなものが薄っすらと見えてきた気がする。「右手に論語、左手に算盤」ではないが、「右手に哲学・思想、左手に会計・マーケティング」が必要なんだろなと。

とはいえ、私はまだまだ人間として欠陥だらけであると自覚しているが、汝自身を知ることはできるようになったかもしれない。ちなみに、安岡正篤は自己を自覚することを「自得」といい、すべての出発点だともいっている。50歳で仕事を一区切りさせようと思っている今、ようやく出発点に立ったな、という感覚でいる(ホントに)。

『致知』の最新号(2019年4月号)の特集は「運と徳」というテーマ。運がいい、運が悪いというのはたまたまかもしれない。けど、人徳ある者に幸運がやって来るものではないだろうか。本誌に、私の好きな「易経」の一文が載っている。(P38、SBI北尾CEOへのインタビュー記事より)
『積善の家には必ず余慶(よけい)有り。
 積不善の家には必ず余殃(よおう)有り。』

(善行を積み重ねた家には、その功徳により幸せが訪れ、
 不善を積み重ねた家にはその報いとして災難がもたらされる。)

善を積むといっても修行僧のような生活をするつもりはない。世俗的な成功にも興味がない。富や名声にも興味はない。しかし、残りの人生、左手の世界(会計・マーケティング)から右手の世界(哲学・思想)にライフシフトし、また違った貢献をしたいと考えている。『致知』とのひょんな出会いがなければこんなことは考えなかったかもしれない。これも運だと思う。いつかは致知出版社から本を出せるような人間になりたいとも思うし、それが50個ある夢の一つでもある。

(※画像は致知出版社のブログより拝借しました)