小学生の頃から、算数・理科の成績は全国トップレベル、国語・社会は全国最下位レベルの、典型的な理系人間だった。苦手科目を克服することが志望校合格への近道と分かっていたが、暗記科目の勉強をする気が起こらず、というか算数に熱中しすぎて、中学受験は失敗。

高校受験は、理詰めで戦おうと、受験科目に社会がない学校を志望校に選んだ。英語・数学で9割取れば、国語は3割でも合格するだろうと思い、英語(特に英文法)と数学だけをひたすら勉強し、国語は捨てた。戦略通りに合格した。

関西学院大学の付属高校に合格したものの、数学者として生きていきたいという夢があったので、高校1年から駿台予備校に通った。しかし、全校生徒の99%が無受験で関西学院大学に進学する(当時)という環境の中にいると受験勉強に身が入らない。易きに流れる。99%の人間と一緒に自分の好きなことに没頭する人生と、1%のマイノリティとなって受験勉強を続けるのと、どちらが自分の人生にとって有益なのかを考えたら、迷うことなく前者だと思った。何年経っても暗記科目を勉強をする気が起こらず、受験には向いてないと思った。駿台予備校は高校1年の夏には辞め、数学者の夢も捨てた。未練は全くなかった。

代わりに英語だけは勉強を続けた。高校3年間で、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドに語学留学・ホームステイに行った。何度もアメリカに旅行に行った。この3年間の高校生活が、今の人生の骨格を作ったといっても過言ではない。

大学受験レベルの勉強は「最低限の教養」として必要だと主張する人がいる。言いたいことは分かる。しかし、色んなことに好奇心が溢れる中学生・高校生の頃に、受験勉強だけに多くの時間を割かれることが人生において果たして有益なことなのか。「最低限の教養」は受験勉強として詰め込む(=暗記する)ものなのか。そもそも、ネットでググれば何でも分かる時代に、いつまで暗記力で受験生をふるいにかけるんだろうか。この時期、新聞にセンター試験の問題が掲載されているのでランダムに解いてみるのだが、こんな問題を正解することが果たして教養なんだろうかと思うし、こんなことを目標にする勉強って何なんだろうかと思う。

子どもの成績が悪いのは、親が馬鹿だからだ」ということを進化論的、遺伝学的、脳科学的なエビデンス(証拠)を添えて紹介した衝撃の書、橘玲さんの『言ってはいけない』の続編『もっと言ってはいけない』が発売された。相変わらず残酷な話の連発で面白い。

ひとは、赤ちゃんの時に遺伝の影響が最も大きく、成長するにつれて(環境の影響が強まり)遺伝の影響は小さくなると思っていたし、多くの人がそう思っていたのではないだろうか。しかし、発達行動遺伝学の研究では、これを真っ向から否定する。遺伝の影響は思春期に向けて徐々に開花していく。幼児教育の効果は思春期になるとほぼ消滅し「地頭がいい」人の能力は中学生・高校生くらいに開花する。それを言っては元も子もないという話だが、これは「行動遺伝学の発見の中で最も重要なものの一つ」(P72)だという。

私の息子も来年は中学受験。学習塾に通い、勉強せざるを得ない ”環境” に身を置いている。膨大な宿題に追われているが、本当は「(行動遺伝学的にいえば)成績が悪いのは、親が馬鹿だからか、中学生・高校生くらいに開花するからか、どちらかだ。だから今は好きなことに没頭しとけ。」と言ってやりたいところだ。が、それを言っては、それこそ元も子もないという話になってしまう。私自身が受験勉強に否定的だし、ろくに勉強してこなかった人間だけに、悩ましい。