先日読んだ島本理生さんの『イノセント』という小説が良かったので、『ナラタージュ』(角川文庫)という作品も買ってみた。恋愛小説を立て続けに読むなんて多分人生で初めてのことだが、それは特に深い意味はない。

本作『ナラタージュ』は映画化もされており、主人公は有村架純だったらしい。映画は観てないが、どうしても有村架純をイメージしながら読んでしまう。

高校生の時に好きになった男性教諭(葉山先生)と、大学2年になってから再会する。今でも葉山のことが好き。しかし、葉山の嘘がばれる。バツイチ独身と思ってたが、妻と別居してるだけで離婚が成立していないことを知る。

「隠していたことを話したら最後、今度こそ君は離れていってしまうと思ったんだ」(P199)

ずるい男だし、不器用な男だ。前読んだ『イノセント』にも不器用な男が登場する。男は不器用なものだ。

私は葉山と別れることを決意する。別れと嘘と裏切られたという気持ちがぐちゃぐちゃに絡み合って責めたてられる。人目をはばからず号泣する、嗚咽する。全てをゼロに戻そうと思った時、私を想ってくれる同級生(小野君)に告白される。そして付き合うことになる。

小野君と付き合うことになったが、彼と寝てても目を閉じると思い浮かぶのは葉山の顔。結局、小野君も疲れ、二人は別れる。葉山は妻の元に戻っていくが、しかし・・・

という、なぜか不思議な既視感を覚えるストーリー。

『イノセント』に比べて深みがなく、展開が浅いのに400ページもある。長い。正直読むのに辟易とした。しかし、『イノセント』と同様に、所々に深く引き込まれていく魅力があり、一つ一つのシーンの表現力が秀逸で、ため息が出そうになった。小説なのに赤ペンを何ヶ所も引いた。

例えば、妻の元に戻っていく葉山と最後のセックスをするシーン。
私はふいに怖くなる。私はもう彼のことを愛していないのではないかと疑ってしまう。欲望の強さで愛情すら霞んでいく、この先もう誰と寝ても同じように満たされることはないのではないか。それとも今日この午後がすべてとなって、その余力で残りの一生を、セックスを持ちこたえていくのではないか。(P394)

これを著者は20歳の時に書いたというから驚かされる(「早熟の天才小説家」と称されているのも頷ける)。若くしてどれほどの恋愛をしてきたのだ・・・、それに引き換え、僕の20歳の頃は・・・と、どうでもいいことを考えてしまう。40歳を超えても、セックスをこのように表現する経験も表現力も私にはない。


ナラタージュ (角川文庫)
島本 理生
角川書店
2008-02-01