私が師と仰いでいる人が2人いるということを度々書いていますが、そのうちの1人の師の下で、13年間学んでいます。当初は「ビジネス」について教えを乞うていましたが、9年前からは「ビジネス」に限定せずに、「知の全般」について学んでいます。

13年前に独立した時は「ビジネス」について学ぶ必要があり、マーケティングやマネジメントやビジネスモデルなどを体系的に学び、知識を体系化していくことに価値や意義がありました。

しかし、9年前に再独立して「社長」から「(個人としての)公認会計士」に戻った時に、もはや「ビジネス」の知識を吸収したいという欲求はなくなり、無知であり未知である領域を知りたいという欲求が溢れてきました。

私が師にお願いしたのは、人類の英知のあるべき姿を問う社会科学ありのままの姿を記す自然科学ありたい姿を描く人文科学、この3つの領域を1本の串で指してくれないか、というものでした。それらを串刺ししたところに「哲学」という4つ目の領域が浮き上がってくるのではないか。その4領域を巡回し、横断したところの「知の交差点」のようなものが見たい。そして、その英知を「知のMAP」として描きたい。

そういった無茶な要望をしたのですが、師は快諾してくれ、私の想いに共感してくれたもう1人の方と3名で、9年間にわたって知の横断をしています。

無知であり未知である領域を旅して9年。
宇宙の暗黒物質を探るような旅を続けて思うことは、知識は無知がもたらす偏見から解き放ってくれるものですが、知識もまた偏見であるということです。「それでいいんだ」と思うようになりました。あるべき「知のMAP」というものはなく、自分なりの地図を描けばいいと。

そして旅は10年目に突入しました。

ぼくの半生は言葉と時空との闘いの歴史であって、
とうてい得意技の発露の歴史ではなかった。
不得意領域への挑戦史なのである。

(松岡正剛『危ない言葉』より)