先日紹介した山下弘子著『雨上がりに咲く向日葵のように  ―「余命半年」宣告の先を生きるということ』 (宝島SUGOI文庫)を読んだ翌日、書店に行くと山下弘子さんの夫 前田朋己氏が書かれた本書が平積みされていました。これも”引き寄せ”ってヤツでしょうか。中も見ずに買いしました。

『雨上がりに咲く〜』は、山下弘子さんが「余命半年」宣告をされた2012年10月(19歳)〜最初の2年(19歳〜21歳)の記録。本書は、著者が山下弘子さんと出会った2013年6月(20歳)から、亡くなる2018年3月(25歳)までの記録。つまり、癌が発覚してから、癌の闘病中、「死」の瞬間まで(=脈拍モニターが止まるまで)の、約5年間の本人・家族の闘い・想い・感情等が記されています。

序章から胸が張り裂けそうでした。

「余命半年」宣告されてから5年間、体調は常に波があり、その都度、感情にも起伏がある。20歳前後の女性なんだから当然といえば当然のこと。一般的な若い女性と同じように、結婚して、子どもを産むことを夢見る。しかし、無情にも癌は転移していき、(放射線治療により)生殖機能を失うばかりか、体調は悪化の一途を辿り、いつ死んでもおかしくない状況に。

咳と一緒にドバっと吹き出る喀血(かっけつ、肺・気管支から出る血液のこと)がコップ1杯分にもなるとか、咳と一緒に黒い肉片(抗がん剤によって壊死した癌)が口から出てくるとか、恐ろしいシーンもありましたが、それでも夫は献身的に彼女を支える。

倒れて緊急手術を受ける直前までLINEで夫にメッセージを送る弘子さんの姿や、意識を失っても(耳が聞こえることがあるので)弘子さんの名前を呼び続ける夫の姿は胸が打たれました。

おそらく、この手の本には批判も多いのではないかと想像できます。特に著者は政治家です。著者の名前をgoogleの検索画面に入力すると「売名」とリコメンドが出てくるくらいです。悲しいですね。著者のブログにも「(出版は)デメリットしかない」(=メリットはない)とはっきり書かれています。著者は「僕らの出会いをきっかけに、日本中で素敵な出会いが増えればいい」と思ったことが出版した理由であると述べていますが、私は本書の意義はそれだけではないと思います。

こういった壮絶なる経験をした人にしか書けないことを、いろんなものを犠牲にしてでも伝えるという勇気と行動力は多くの人には真似できないことです。本書がどれだけの患者に勇気を与え、そしてこれから病気になるかもしれぬ人に「生きる意味」を考えるきっかけを与えただろうか。また、私自身も本書に出会っていなければ、癌という病気と闘病の実態をここまでリアルに知ることは決してできなかっただろう。そういう意味でも、本書の存在意義は大きいし、彼女が25年間という短かった人生を生き抜いた意味はもっと大きかったと思います。