昨日紹介しました『深夜特急』の中で、私が折り目を付け、何度か読み返したページを、自分のための備忘録として残しておきます。


その日の午後から、私はバンコクの街を歩きはじめた。
目的地も決めずにバスに乗り、適当なところで降り、そこから歩いて宿の近くまで戻ってくる。それを三、四日も続けると、バンコクという土地についての勘のようなおのができてきた。地図を見ただけで、ここからここへはバスで何分くらい、歩けば何十分くらいかかるかということがわかってきた。それと同時に、地理上の重要なポイントになる場所の風景が頭に叩き込まれるようにもなった。要するに、たとえバスを乗り違えても、途中で降りて方向を正すことができるくらいにはなった、ということだ。
(第2巻P34)

『深夜特急』を読んで人生観が変わったという人は多いと思うが、それは「こんな旅があるのか!」という衝撃ではないかと思う。


急ぐ必要はないのだ行きたいところに行き、見たいものを見る。それで日本に帰るのが遅くなろうとも、心を残してまで急ぐよりはどれだけいいかわからない。(第2巻、P168)

こういう旅がしたい。こういう旅をしていないことがストレスに感じるけど、だからこと自分の将来を結構真剣に考えるのかもしれない。


旅にとって大事なのは、名所でも旧跡でもなく、その土地で出会う人なのだ(略)。そして、まさにその人と人との関わりの最も甘美な表出の仕方が親切という行為のはずなのだ。(第4巻、P83)

これ、すごく分かる。


・・・香港の時のような沸き立つような興奮がないのはなぜだろう。(略)おそらく、最大の理由は時間にあった。毎日が祭りのようだったあの香港の日々から長い時間がたち、私はいくつもの土地を経巡ることになった。その結果、何かを失うことになった

旅は人生に似ている。以前私がそんな言葉を眼にしたら、書いた人物を軽蔑しただろう。少なくとも、これまでの私だったら、旅を人生になぞらえるような物言いには滑稽さしか感じなかったはずだ。しかし、いま、私もまた、旅は人生に似ているという気がしはじめている。たぶん、本当に旅は人生に似ているのだ。どちらも何かを失うことなしに前に進むことはできない・・・・・・
(第5巻P94)

最後の一文、メモった。


(古代スパルタの廃墟で会った老人と)
・・・彼はアメリカ人で、ニューヨークの大学で教鞭をとっていたが、16年前に引退してギリシャに渡り、以来ずっとここに住んでいるということだった。そして、この国もインフレになっているがまだまだ少ない金で暮らせるということや、アメリカではできない静かな生活が送れて気に言っていることなどを話してくれた。

異国に暮らして不自由なことはないのですか。私が訊ねると、彼は自信に満ちた口調で言った。何も不自由はしていない。なぜなら私にはテレビも必要ないし、新刊書も必要ないからだ。ただ、昔読んだ古い本を読み返していればそれでいい・・・・・・。

(略)

ふと、古代スパルタの廃墟で会った老人の顔が浮かんできた。(略)彼もまた人だけは必要としていたのではなかったか
そのとき私は、自分が胸のうちで、彼もまた、と呟いていたことに気がついた。そう、彼もまた、と・・・・・・。
(第5巻P182〜)

劇的紀行 深夜特急』(DVD)の中で、とても印象に残っているシーンがこれ。映像版は本書を忠実に再現していることが分かる。


ついにその一歩を踏みはずすことのなかった僕は、地中海の上でこうして手紙を書いているのです。
(略)

僕を空虚にし不安にさせている喪失感の実態が、初めて見えてきたような気がしました。それは「終わってしまった」ということでした。(略)自分の像を探しながら、自分の存在を滅ぼしつくすという、至福の刻を持てる機会を、僕はついに失ってしまったのです。(第5巻P228)

この箇所は、一番読み返した。何十回と読み返してようやく分かったような、でも、分からんような。


わかっていることは、わからないということだけ(第6巻P109)