AI vs. 教科書が読めない子どもたち
新井 紀子
東洋経済新報社
2018-02-02



先日行ったシンポジウムにおいて、佐藤優氏が池上彰氏との対談の冒頭で紹介した本。

これは必読。

まず冒頭で、著者の新井紀子さんは、こう断言します。
「AIが神になる?」――なりません。
「AIが人類を滅ぼす?」――滅ぼしません。
「シンギュラリティが到来する?」――到来しません。

「AI」「シンギュラリティ」「ディープラーニング」「ビッグデータ」といった巷間で騒がれている言葉が、実態を捉えておらず、言葉が独り歩きして人々の幻想を育んでいるといいます。私も独り歩きしている言葉を真に受けていましたが、「AI」と騒がれているものの多くは、Siriなどの「AI技術」を単に「AI」と呼んでいるだけで、「真の意味でのAI」とは別次元だといいます(第1章参照)。

では、なぜシンギュラリティは到来しないのか?
AIがコンピューター上で実現されるソフトウェアである限り、人間の知的活動のすべてが数式で表現されなければ、AIが人間に取って代わることはありません。(P2)

で、数学が獲得した表現手段(=コンピューターが使えるもの)は「論理」「確率」「統計」の3つ。つまり、数学が説明できることは、論理的に言えることと、確率・統計で表現できることだけであり、数学が表現できることは非常に限られているのです(P115〜)。私たちの知能の営みを「論理」「確率」「統計」の3つに置き換えることができないため、シンギュラリティが到来することはない。

しかし、(ここからが著者の最も言いたいことですが)
シンギュラリティは来ないし、AIが人間の仕事をすべて奪ってしまうような未来は来ませんが、人間の仕事の多くがAIに代替される社会はすぐそこに迫っています(P3)

決められたルールに従って作業すればよいという仕事はAIに代替され、「50%のホワイトカラーが20年、いやもっと短い期間で減る」(P77)という途轍もないことが起こるといいます。しかも、困ったことは、AIによって新しい産業が生まれたとしても、「AIで仕事をなくした失業者を吸収することができない可能性がある」(P272)のです。著者は「AI恐慌」とでも呼ぶべき、世界的な大恐慌がやってくると予想しています(P273)。

ここまででも衝撃的な内容ですが、もっと衝撃的なのが違う箇所にあります。。

我々の仕事がAIに代替されないためにはどうしたらいいのかといえば、AIに代替されない「人間らしい」(P276)仕事をしていくしかありませんが、実は、中高生の読解力があまりにも低く、半数以上の学生が教科書の内容を理解することすら出来ていないと・・・。数々のエビデンスが載っておりそれらのデータは驚愕でしたが、本書に掲載されているある簡単な読解力テストに某新聞社の論説委員から経産省の官僚までが間違えた、というのには声を上げて驚きました。

詰め込み教育の成れの果てでしょうか。

ただの計算機に過ぎないAIに代替されない人間が、今の社会の何割を占めているのか(P165)

このままでは本当に「AI恐慌」が来る。それを防ぐためには何をすべきなのか。非常に大きな問題提起を投げてくれた一冊です。子どもをもつ方には特にオススメしたい一冊です。