いつかこのことを書こうと思っていたところ、橘玲さんもブログに書かれていました。

ネットを徘徊する「正義依存症」のひとたち


有名人が「不倫」をするとメディアが面白おかしく取り上げる。報道という大義名分のもと、人のプライバシーを食いものにし、さらに徹底してその人を批判し、徹底してその人を潰す。橘さんは「男女の非対称性」があるって書かれていますが、私はそうは思っていませんでした。男性ミュージシャンの不倫報道の際、ある著名なジャーナリスト(80歳)が感情的に「許せない」「許せない」とコメントをしているのをTVで見て、私はドン引きしました。「許せないのはお前たちだ。」

脳科学の実験では、裏切り者や嘘つきへの処罰が脳の快楽中枢を刺激し、ドーパミンなどの神経伝達物質が放出されることがわかっています。(略)「バッシング」でも同じことが起きているなら、これは「正義依存症」という病理です。

洋の東西を問わず、ネット上には“正義という快楽”を求めて徘徊するひとが溢れ、あちこちで炎上を起こしています。そんな「中毒患者」たちにとって、バッシングの対象は芸能人でも政治家でも週刊誌でも、理由さえつけばなんでもかまわないのでしょう。

そういう中毒患者が、ネットの世界だけじゃなく、リアルの世界にも多くいるということを、私たちは知っておいた方がいい。また、ネットで「炎上」を起こしているのは参加者の1%に過ぎないというデータがありますが、その意見が大衆化されたものを我々は情報として受信している可能性があることも知っておいた方がいい。

昭和3年〜4年頃に連載された谷崎潤一郎の『蓼食う虫』は、大阪に暮らす40歳前後の関係の冷え切った夫婦の話。妻は夫公認で不倫をしている。小学校4年生の一人息子への気兼ねもあり、離婚を先送りにしている。そんな話。何が面白いのかさっぱり分からない話でしたが、この時代も失楽園的な話はウケたのでしょうね。この時代なのでネットでの炎上やバッシングなんてありませんが、当事者が「世間の目」をとても気にしている節がある。この「世間体」と「正義中毒患者」の狭間で訳の分からない気遣いをして生きていかなければならないのは古今東西変わらないのかもしれません。でも、不倫・不貞を擁護するわけじゃないですが、人の目を気にして行動に制限をかけるのはアホらしいことですし、「人生の無駄遣い」だと思います。世間から何を言われたって、自分らしさを大切にして生きていく信念を持つべきだと思います。

男性ミュージシャンは、男性機能が衰えて性的な関係はなかったという告白までしており、それでも人に依り添いたい深い事情があったのだと思います。なぜこれが許せないことなのか分かりません。人それぞれの事情について、我々が何かを言う資格もなければ、バッシングする必要もない。人には人の事情がある。自分にも自分の事情がある。人のことは放っておけ。俺のことも放っておけ。隣の芝は見るな。己の芝を刈れ。私はいつもそう思っています。


蓼喰う虫 (新潮文庫)
谷崎 潤一郎
新潮社
1951-11-02