ハワイ島


旅に行く時は、何の予定も立てません。ただ、『ぼんやりの時間』を楽しむ。旅のお供は『ぼんやりの時間』。もう何度も何度も読んだ本ではあるものの、旅先ではこの本を読みたくなります。

(哲学者の)串田(孫一)の「無為の貴さ」という短いエッセイは繰り返し読んでいる。こういう一節がある。

ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、この間に、本人はどの程度意識しているか分からないが、必ず蓄えられているものがある

ぼんやりすることでなにを貯えるのか。そのことを、そんなに性急に畳みかけるのように尋ねたりしないものだ、と串田はエッセイのなかで私たちの性急さをたしなめている。

そう、それを尋ねるのなら、尋ねる前に、なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。


海外のリゾート地に行くたびに思うことではありますが、空港やツアーやショッピングセンターにはそれなりの日本人を見かけるのに、ホテルのプールサイドには日本人がほとんどいません。なぜでしょう。白人たちは、プールサイドで、本を読んだり、ビールを飲んだり、日焼けをしたり、ただ「ぼんやり」の時間を過ごしているようにみえますが、日本人はこういう過ごし方は合わないのでしょうか。

『ぼんやりの時間』に、こんなことが書かれています。

 あなたはいま、森の果ての大きな沼のほとりに立っている。
 沼の面には月の影がある。あなたは、小石を沼に投げる。月影が乱れる。また投げる。沼の面は乱れつづけ、月の影は引き裂かれたままだ。それは、あわただしく揺れるあなたの心の姿だ。
 やがて投げるのを止める。動から静へ。沼の面に静寂が戻る。ぼんやりするということは、石を投げるのをいっさい止めることだ。
 すると沼の面のさざ波が消え、月の影が見えてくる。心の平穏の現れだ。沼の面が平穏になれば月影が見えてくる。心が平穏になれば見えなかったものが見えてくるし、聴こえなかったものが聴こえてくる。

年末年始くらいは、あわただしく揺れた心に平穏と静寂を取り戻したらいいのに・・・と思うのですが。。。日本人は旅先でも忙しすぎます。