今朝の日経新聞によると、高校、大学の教員団体である高大連携歴史教育研究会(高大研)というところが、高校の日本史、世界史で学ぶ用語(=暗記用語)が多過ぎるとして、用語を現在の半分弱の1600語程度に減らすべきだとする提言案を発表したようです。

大学入試で教科書に載っていない細かい知識を問う問題が出ると、その用語が教科書に追加されることが繰り返され、今では「世界史 B」の教科書には 3400〜3800語も収録されているようです。

削減案の中には、上杉謙信、坂本龍馬、武田信玄なども入っています。

歴史用語
([出処]日経電子版)

このニュースに対して、学力が低下するなどと批判的なツイートもありましたが、私は大賛成です。是非実現させて欲しいと願います。

私は小学校の頃から歴史(社会)の授業というものが不毛に思っており、ほとんで聞いていませんでした。年号・人名・地名などをただ暗記させられるだけで(それも自分のキャパを明らかに超えた分量)、それをすることに何の意味があるのか分かりませんでしたし、そこに時間を割くのなら算数(数学)の問題を解いている方が有意義だと思っていました。

中学の歴史の授業は、私の6・3・3・4の16年の学生生活の中で最低最悪のものでした。教科書を端から端までなぞるように読み、暗記させられるだけのもの。教育者として最低だと見下しながら中学3年間を過ごしました。

高校受験は、受験科目に社会がない学校に志望校を絞り込み、関西学院高等部に進学しましたが、ここも相当クセのある教師ばかりで、世界史の授業は1年中”フランス革命”だった気がします。まぁ、いいんですけど、面白くないんです、これが。

「とにかく面白くない暗記科目」というのが学生時代の歴史に対する私の印象。

佐藤優氏が「世界史 B」の教科書くらいは教養として知っておくべきだと主張していることには同意しますが、暗記するという勉強は今でも不毛だと思います。

私は、歴史は暗記するものではなく、「流れ」(時間軸)「事実」(断面図)をつかむものだと思いますし、小中高では「流れ」だけつかめば十分ではないかと思っています。歴史家のE.H.カーが『歴史とは歴史家と事実との間の(略)尽きることを知らぬ対話』(『歴史とは何か』岩波新書より)と述べていることは有名ですが、歴史は歴史家が選んだ事実で作られているものであり、教科書に載っていない事実もその裏には存在します。そういうことをじっくり考えることが歴史を学ぶということではないでしょうか。

これくらいにしておきます。


ちなみに、だいわ文庫に「2時間でおさらいできる」シリーズがありますが、これは「流れ」をつかむには非常に良い本です。学生時代に出会っておきたかったし、そもそも学生時代に学ぶ歴史はこのレベルで十分じゃないかと思います。