去る4月17日に逝去された渡部昇一氏の絶筆の作となったコラムが、数年前から定期購読している「致知」(2017年6月号)に掲載されています。

「二十代をどう生きるか」という連載コラムの第78回目。

何だか、何度も熟読しました。

人生の恩師との出逢いも忘れなれない。高校時代に英語の授業を担当していた佐藤順太先生である。佐藤先生は知識を愛する人という表現がぴったりな方で、私は知らず知らずのうちに知識欲を掻き立てられ、身を乗り出して佐藤先生の授業を聴いていた。

卒業の際、遊びに来いとお誘いいただき、数名の同級生とご自宅に伺ったことがある。私はそこで生まれて初めて本物の書斎を見た。天井まで書棚があり、数々の和綴じの本や『小泉八雲全集』の初版、イギリスの百科事典24巻などが収蔵されている。とても山形県の田舎の一教師の書斎とは思えなかった。佐藤先生は着物姿でゆったり書斎に腰を掛けながら、いろんな話をしてくださった。

その時、私はこういう老人になりたいと強く思った。一生の目的が定まった瞬間だったと言っても過言ではない。まさしく佐藤先生に痺れたのである。

読んでるこちらまで痺れます。

ただ不思議なことに、他の同級生は誰一人痺れなかった。それどころか、後年同窓会で集まると、「そういえばそんな先生もいたな」と言う人が大半だった。もちろん彼らはそれぞれ他の先生の影響を受けたのだろう。だが、同じ先生に学びながら、全く影響を受けない者もいれば、私のように揺るぎない影響を受けた者もいる。

受け手の求める心や感性の如何によって、そこから学び取れる質と量は天と地との差になる、と言えるのではなかろうか。

私は、学生時代に「恩師」といえるような人や人生を決定づけた人には出会えなかった。むしろ、学生時代に出会った教育者はひどい人ばかりだった。私の感性の問題かもしれないけど、それを差し引いてもろくでもない人間ばかりだった。あぁいう大人にだけはなってはならないと思ったものです。

私淑する安岡正篤氏は、「師友」(=よい師や友)は肉親と同じほどの重要な役割をすると述べた上で、「師友のないことは最も深刻な寂寞、寂しさである」出処)と述べています。痛いほど分かります。社会人になってから、師友に恵まれたことは幸せなことです。ちなみに、安岡正篤氏は師や友は決して時と所を同じくする人ばかりとは限らず、「万里の彼方、千年の昔に師や友を得ることができる」(前出)とも述べています。

私はあの日以来、今日に至るまでの約70年間、佐藤先生のお姿や書斎のイメージが頭から離れたことはなく、いまも痺れっぱなしである。70代になって新たに家を建て、そこに10万冊ほどの本を収めた書庫をつくり、夢を叶えることができた。

ゆえに、若いうちに何になりたいかという強い意志を持つことその願望を思い描き、頭の中で鮮明に映像化し、信念にまで高めることが重要であると思う。脊髄の奥で沸々と願望を燃やしていると、天の一角からチャンスが下りてくるものである

70年間頭から離れたことがない。そういう方と出会えたということがすごいですし、そこから夢を追い求め、70代で夢を叶えたというのもすごい。痺れます。

20代を超えたとしても、師や友を得、願望を思い描き、信念まで高め、夢を追い求めたいものです。


【オススメ本】
渡部昇一『人生の手引き書 』 (扶桑社新書)