本書は、佐藤優氏の母校、同志社大学神学部において同神学部生に向けて実施した4日間の特別講義(1回5時間)を元に編集されたもの。「キリスト教神学」の話が中心ですが、キリスト教の話が半分、それ以外が半分といった感じです。

佐藤優氏の特別講義を編集した本としては、灘高生に向けての特別講義を編集した『君たちが知っておくべきこと ―未来のエリートとの対話』という本を以前紹介しましたが、本書もこの本と同じくらい学びの多い内容でした。

私はプロテスタント系の高校・大学にいましたので「聖書」と触れる機会は多かったのですが、あの奇想天外なフィクションかノンフィクションかも分からない話の数々には最後まで馴染むことができませんでした。「なにそれ?」的な話が多すぎる。「聖書」の先生に聞いても、クリスチャンの友達に聞いても、謎は解けない。

しかし、今回、本書を読んで、視界が開けました。

佐藤優氏は「聖書」は、推理小説の読み解きと同じだというのです。

キリスト教を考えるうえで基本のテキストである「聖書」、これだって二十一世紀のいま読んでいると、お伽噺のように感じることがありますよね。そのこと自体は、何も不思議なことではありません。それは、世界像が違うからです。(P28)

つまり、どういうことかというと、「聖書」が書かれた時代は、望遠鏡もなければ、万有引力の法則もないし、地動説が当然という、近代以降の常識がなかった時代。

だから、
聖書が書かれた時代の世界像をそのまま信じることなど、どだい無理(P30)
であり、
(神学というのは)過去の人々が違う世界像で書いたものを、どうやってリアルに読んでいくかという読み直しをやっている(P29)


よって、
キリスト教を考える際には、哲学はもちろん、自然科学の知識も重要になってくる(P30)

こういったことを、学生時代に少しでも教えてくれた人がいたら、私の人生観も少しは変わっていたかもしれないのに。。。

ただ、こういった聖書の前提を知ったうえで、本書の講義を聞くと、キリスト教への理解がかなり深まると思います。興味ある方は是非本書をご一読ください。


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