先日、ある書籍を紹介しながら、「自己の二面性」「他人の二面性」の話を書きました。

人は誰もが「多重人格」だと思います。
私も、自分の中に複数の人格が共存しています。

私は、仕事の時、何百人という人の前で喋ったりしますので、人前で喋ることが好きな人間だと思われることが少なくありません。しかし、私は、ステージの上で人々を感動させたいと思う自分と別の人格――社会との交わりが極度に苦手という人格――が同居しています。仕事以外では、知らない人と交わることも、喋ることもない。子供の学校行事とか町内会とか飲み会とか、そういうイベントがあるだけで「消えてしまいたい」と思うほどに辛い。コンプレックスは消えないし、病気かと思ったこともあるし、遺伝の問題かと思ったこともある。「どっちの人格も、本当の自分なんじゃないか」と現実を受け入れるようになったのは、この数年のことかもしれません。ただ、自分で現実を受け入れるようになったとしても、周りは私のコンプレックスに気付かない。親も妻も気付かない。それが、時には私に多くの苦しみを与えてきた。

芥川賞作家の平野啓一郎さんが書いた『私とは何か』という本には随分と救われました。

自分の中にたった一つの「本当の自分」などというものは存在しない。人間にはいくつもの顔があり、「個人」とは多種多様な「分人」の集合体だ。つまり、武田雄治という「個人」の中に、「ステージの上で喋る自分」と、「人前で喋ることが苦手な自分」という、複数の「分人」が存在する。どちらの「分人」も自分なのだ。

そして、その「分人」は、公私にわたって付き合いのある人の数だけ持っている。言い換えれば、私という存在は他者との相互作用の中にあり、付き合う人によって違った自分が引き出される

そう考えれば、「消えてしまいたい」というネガティブな分人が同居することに絶望する必要はなくなる。

分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティブな分人は、半分は相手のせいである。(P101)

逆にいえば、自分がどういう人と付き合うべきか、自ずと見えてくる。

平野啓一郎さんは、「愛」についても述べており、「愛」をこのように定義しています。
愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。(P138)

そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。(P138)

そんな相手と一緒にいたら、確かに幸せを感じます。

話をまとめます。

私たちは多重人格です。複数の分人を生きています。そして、対人関係ごとに分人化できるのです。たった一度きりの人生の中で、ネガティブな分人、ストレスの溜まる分人を生きる必要はありません。キャラを演じる必要もないし、仮面を被る必要もありません。ポジティブになれる自分、自分のことを愛することができる自分を生きるべきなのです。