覗くモーテル 観察日誌
ゲイ タリーズ
文藝春秋
2017-01-30



ちょっと変わった本を読んだ。

アメリカのあるモーテルの経営者(ジェラルド・フース氏)の話。
モーテルの部屋の天井に自ら通風孔と見せかけた穴を開け、天井裏の「観察スペース」から密かに利用者を覗き、それを日記にまとめていった。なんと30年間も。

この本は、その「覗き魔」の30年の記録。
すべて実話(おそらく)。

”18禁”にした方がいいんじゃないかというエロシーンも沢山ありますが、私が紹介したいのはそこではありません。なんでこんな犯罪日誌を公開したのか・・・という側面から本書を読むと、そこには哲学的な「問い」があるような気がします。

まず、本書を読んで印象的だったのが、日誌が「一人称」と「三人称」を行き来していること。つまり、「私は・・・」と書かれている箇所と、「覗き魔は・・・」と書かれている箇所があるのです。「自己の二面性」が日誌に表れているのです。ジェラルドはこのようにも言っています。

「一階の書斎にいるときはビジネスマンのジェラルド。一方、観察スペースにいるときは覗き魔ジェラルドでした」(P227)

そして、覗きを繰り返すうちに、「他人の二面性」が見えてくるのです。つまり、モーテルのフロントにいるときの誠実で紳士的で清潔で幸せそうな「他人」と、部屋に入ったときの不誠実で不潔で虚偽で不幸な「他人」を何度も何度も目撃することになる。

「彼らは(略)人前で演じている顔と自分だけになったときの顔がまるっきり別人になる人々があつまって出来ている幻想の世界の一部だ」(P185)

「人は公共の場で隠している部分を、プライベートな空間であらわにします。だれであれ、公共の場で他人に見せようとしている自分は、本来の自分ではないのです」(P233)

人は誰しもが「仮面」と、仮面の下に隠れた「素顔」の二面性を持っている。では、それを正確に見定めることはできるのだろうか。何千人もの客の「仮面」と「素顔」を見てきたジェラルドは断言する。

「ぜったいに無理だ」(P63)


他人を覗きたいという願望から始めたモーテル経営であったが、ジェラルドは人間嫌いになり、社交嫌いになっていく(P185)。そして、隣近所とも社交を経ち、孤独の身となっていく(P233)。

ジェラルドは、日誌にこんなことを書いています。

「個人的な生活が不幸で嘆かわしいものであることを外部に知られないようにすることが、なぜ人々にとって必要不可欠なのかをわたしはずっと考えている。」(P63)

つまり、人はなぜ、自己の二面性を表に出さないで、覆い隠してしまうのか。

ジェラルドは、こう答えます。
「もし全人類の不幸がひとつ残らず同時に暴露されたならば、それに呼応して即座に大量虐殺がはじまるにちがいない、というあたりがその答えにちがいない。」(P63)


不倫、同性愛、グループセックス、近親相姦、獣姦、強姦、窃盗、殺人といった様々な人間行動を見せつけられる羽目となった人間だから分かる窮状か。


本書、アメリカでは大きな反響を呼び、最初に映画化権を取得したのはスピルバーグだったらしい。結局、スピルバーグによる映画化は流れたが、別の人によって映画化されたとか。日本での公開が待たれます。