2月10日は「簿記の日」だったようです。福沢諭吉の訳本 「帳合之法」の序文が1873年(明治6年)の2月10日に草されたことにちなみ全経(全国経理教育協会)が制定したようです。簿記に触れて20年以上経ちますが、初耳でした。

私が簿記と出会ったのは大学1年生の時。大学生になって初めての授業が『簿記基礎』なる授業でした。小中高とロクな教育者に出会いませんでしたので、大学になってようやくまともな「教育」を受けられるだろうと多少の期待をしていましたが、1回目の授業から失望、絶望でした。受講者全員が大学1年生の1回目の授業だというのに、授業が始まるやテキストの1ページ目から読み始めたのです。「左側が借方、右側が貸方」とか。「くだらない」。2回目の授業には受講者が半減し、3回目にはさらに半減し、4回目以降は私も出席しませんでした。そうして、私の大学生活は1年生のゴールデンウイーク前後で見切りを付けました。通う時間が無駄。

『簿記』の授業を受けて、心が『ボキっ』と折れた・・・と冗談っぽく言っていましたが、本当に「学校」という所には心が折れました。小中高大と16年間もよく耐えたと思います。お陰で不条理に耐える内面的な強さはついたかもしれません。

以前も書きましたが、学校に何か期待すべきではない、というのが私の考えです。教育者は信頼の対象ではなく、監視の対象。本当の教育は親がやるべきで、教育者に委ねるべきではないと思います。

週末にこんなニュースが流れてました。京都府の一部の中学校英語担当教員にTOEICを受験させたところ、730点以上(英検準一級レベル)が74人中16人のみ、500点以下が14人もいたと(産経新聞2月11日より)。有り得ないです。こういう人が教壇に立っている訳です。英語力のない人間が教壇に立っているという問題以上に、そういう人間が教壇に立てるという教育システムにこそ根本的な問題があると思います。

上の『簿記』の授業の講師も、今ではそこそこ知名度のある「教授」ですからね。ちゃんちゃらおかしな話です。