1年前の今日、私は広島にいました。行かねばならぬと思ったのです。

1年後の今日は、8月第1週目の土曜日ということで、西も東も大きな花火大会が開催されていたようです。

私は、NHKスペシャル『決断なき原爆投下』をいう番組を観ていました。

「戦争を終結し、多くの命を救うために、原爆を投下した」というトルーマン大統領の正当性が多くの米国民に受け入れられています。

しかし、トルーマン大統領は、女性や子供など一般市民の上への原爆投下は反対していた。長崎に原爆が投下された8月9日の日記には "regret"(後悔している)とも書かれていました。

米空軍士官学校の図書館に、原爆計画責任者であったレズリー・グローヴスという人にインタビューした録音テープが残っており、NHKが4ヶ月の交渉の末、取材許可を得たようです。グローヴスは言います。

「大統領は市民の上に原爆を落とすという軍の作戦を止められなかった。」
「いったん始めた計画を止められるはずがない。」


ここでいう計画は、そう、原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」です。

「マンハッタン計画」を推進したルーズベルト大統領が1945年4月(原爆投下の4ヶ月前)に急死。当時の副大統領だったトルーマンが大統領になったのが1945年4月12日。「何も知らずに大統領になった」といいます。

既に国家予算約22億ドルの「マンハッタン計画」は進捗しており、「原爆を使わずして戦争を終わらせるわけにはいかない」というムードになっていたようです。

原爆投下候補地は日本国内17ヶ所もあり、1回目の原爆投下は広島と京都の2ヶ所に絞られたようです。なぜ広島・京都かというと、それまで空襲による被害が少なく、半径5km以内に人口も多く、「最も大きな破壊力が出る場所」ということで。

しかし、ヘンリー・スティムソンという陸軍が、候補地から京都を外させた。理由は、「アメリカがヒトラーをしのぐ汚名行為をした」という歴史が残るかもしれないというイメージ戦略。

このように軍主導で原爆投下の準備が進み、8月6日に広島に原爆投下、8月9日に長崎に原爆投下。軍が3発目の準備をしていた8月10日にトルーマンは原爆投下中止を決断。広島の被害を確認した後にようやく原爆による殺戮を止めるという決断を下したのです。

(※ ここまでは番組を見ながら走り書きしたメモを元に書いたものなので、番組内容と若干異なる記述になっている可能性があります。予めご了承下さい。)


タラレバをいっても仕方ないですが、頭の中はタラレバです。
原爆投下を食い止めることも出来たはずですし、3発目が投下されていた可能性もあったわけで、明確な決断をしなかった責任を覆い隠されているという真実を今日知りました。