海外に行くときは、「るるぶ」などのガイドブックを事前にチェックすることは殆どなく、その国の歴史や宗教や文化や経済のことなどについて、できる限りの予習するようにしています。
先日初めて台湾に行った際も、先ず自宅にある『世界史』の教科書・書籍を何冊か見ました。しかし、どの書籍も台湾については数行しか書かれていません。なので、書店で台湾関連の本を20冊位見て、その中で特に役立ちそうな中公新書の『台湾』 という本と、乃南アサさんという作家さんが書いた『美麗島紀行』という本を買いました (『美麗島』とは台湾のこと)。
この2冊を読むまで無知でしたが、台湾には驚くべき残虐な歴史があったのですね。
かつて台湾は日本が統治していたけど、この日本統治時代に台湾は急激な発展を成し遂げ、近代化の礎を築くことになりました。後藤新平という日本人が大きな功績を残したようです。
その後、第2次世界大戦敗戦を受けて日本が台湾を手放し、蒋介石の中国軍が占領することになります。詳細は省きますが、(日本統治時代と異なり)腐敗した政治に台湾人の不満が積り、「二・二八事件」と言われる大暴動が起きます。暴動を鎮圧するために、軍隊が上陸し、子供を含む一般台湾人に対する虐殺と静粛が行われ、台湾は「生き地獄」と化したようです。その時の模様が上の2冊には具体的に描写されていますが、余りのえげつなさに顔をゆがめました。この「二・二八事件」により殺害された台湾人は28,000人といわれており、当時の台湾人の100人に1人強が犠牲になったのです。
歴史の教科書には全く載っていませんが、台湾でもポル・ポトのようなことが行われていたのです。かつては「美麗島」と呼ばれた台湾は、「監獄島」と呼ばれるほどの地獄の島と化し、1987年まで戒厳令が布かれていました。
台湾は「親日」だといわれます。なぜ統治していた日本のことをこれほど良く思っているのかは以前から謎だったのですが、それは、日本人が台湾のインフラを整えたということもありますが、それ以上に、日本が去った後の苦難が余りにも大きかったからではないでしょうか。
東日本大震災の時、世界中から多額の義援金が送られましたが、中でも抜きん出て多額の義援金を送ってくれたのが台湾だったのです。とても所得が高い国とは思えない台湾の人々が、日本での大震災に心を痛め、援助の手を差し伸べてくれたのですね。これを知った時は胸が熱くなりました。
前も書きましたが、台湾に行くと、「親日」であることを直ぐに感じます。多くの方が(コンビニの店員さんまで)流暢な日本語を喋ることには驚きました。私が日本人と知ると、みなさん、一生懸命に日本語で喋りかけてくれました。日本的な建築物も多く残されています。何度も日本に居るような錯覚になりました。
私は旅先では、なるべく車での移動はせず、何時間でも歩くようにします。1日2〜3万歩は歩いていると思います。観光スポットといわれる所よりも、むしろ一般の人たちが生活している所にあえて飛び込み、彼らと同じ場所で、同じ目線で、いろんなものを感じたいと思うからです。自分の存在や知識が余りにも貧弱であることが思い知らされますが、そこからまた、無知と未知を行ったり来たりすることが旅の面白さではないかと思います。沢木耕太郎さんの本の中に「旅をなぞってはいけない」と書かれていましたが、これは同意です。旅をなぞると、それは旅ではなくなる。
台湾に行って、夜市で食事したり、「鼎泰豐」で小籠包を食べたり、故宮博物院に行ったり、マッサージをしたりするのもいいのですが、それではその国のことを何も知らないままで終わってしまうのではないかと思います。何も知らぬまま、何も期待せぬまま、足が向かった方向に歩いて行くということが、出会いとか感動をもたらしてくれるということもある。「無知の効用」は意外と大きいものです。
先日初めて台湾に行った際も、先ず自宅にある『世界史』の教科書・書籍を何冊か見ました。しかし、どの書籍も台湾については数行しか書かれていません。なので、書店で台湾関連の本を20冊位見て、その中で特に役立ちそうな中公新書の『台湾』 という本と、乃南アサさんという作家さんが書いた『美麗島紀行』という本を買いました (『美麗島』とは台湾のこと)。
この2冊を読むまで無知でしたが、台湾には驚くべき残虐な歴史があったのですね。
かつて台湾は日本が統治していたけど、この日本統治時代に台湾は急激な発展を成し遂げ、近代化の礎を築くことになりました。後藤新平という日本人が大きな功績を残したようです。
その後、第2次世界大戦敗戦を受けて日本が台湾を手放し、蒋介石の中国軍が占領することになります。詳細は省きますが、(日本統治時代と異なり)腐敗した政治に台湾人の不満が積り、「二・二八事件」と言われる大暴動が起きます。暴動を鎮圧するために、軍隊が上陸し、子供を含む一般台湾人に対する虐殺と静粛が行われ、台湾は「生き地獄」と化したようです。その時の模様が上の2冊には具体的に描写されていますが、余りのえげつなさに顔をゆがめました。この「二・二八事件」により殺害された台湾人は28,000人といわれており、当時の台湾人の100人に1人強が犠牲になったのです。
歴史の教科書には全く載っていませんが、台湾でもポル・ポトのようなことが行われていたのです。かつては「美麗島」と呼ばれた台湾は、「監獄島」と呼ばれるほどの地獄の島と化し、1987年まで戒厳令が布かれていました。
台湾は「親日」だといわれます。なぜ統治していた日本のことをこれほど良く思っているのかは以前から謎だったのですが、それは、日本人が台湾のインフラを整えたということもありますが、それ以上に、日本が去った後の苦難が余りにも大きかったからではないでしょうか。
東日本大震災の時、世界中から多額の義援金が送られましたが、中でも抜きん出て多額の義援金を送ってくれたのが台湾だったのです。とても所得が高い国とは思えない台湾の人々が、日本での大震災に心を痛め、援助の手を差し伸べてくれたのですね。これを知った時は胸が熱くなりました。
前も書きましたが、台湾に行くと、「親日」であることを直ぐに感じます。多くの方が(コンビニの店員さんまで)流暢な日本語を喋ることには驚きました。私が日本人と知ると、みなさん、一生懸命に日本語で喋りかけてくれました。日本的な建築物も多く残されています。何度も日本に居るような錯覚になりました。
私は旅先では、なるべく車での移動はせず、何時間でも歩くようにします。1日2〜3万歩は歩いていると思います。観光スポットといわれる所よりも、むしろ一般の人たちが生活している所にあえて飛び込み、彼らと同じ場所で、同じ目線で、いろんなものを感じたいと思うからです。自分の存在や知識が余りにも貧弱であることが思い知らされますが、そこからまた、無知と未知を行ったり来たりすることが旅の面白さではないかと思います。沢木耕太郎さんの本の中に「旅をなぞってはいけない」と書かれていましたが、これは同意です。旅をなぞると、それは旅ではなくなる。
台湾に行って、夜市で食事したり、「鼎泰豐」で小籠包を食べたり、故宮博物院に行ったり、マッサージをしたりするのもいいのですが、それではその国のことを何も知らないままで終わってしまうのではないかと思います。何も知らぬまま、何も期待せぬまま、足が向かった方向に歩いて行くということが、出会いとか感動をもたらしてくれるということもある。「無知の効用」は意外と大きいものです。