岩手の中学生の自殺について、いろいろと報じられていますね。こちらのサイトでは生徒と担当教諭との主なやりとりが書かれています。

これらの報道に対して、「担任の見殺し」「教育殺人」などといった意見もありますし、「担任はそれなりに聞く耳を持ってたんじゃないか」といった意見もありました。学校の教育システムのあり方を批判するようなコメントもありました。

どの意見も、背景には学校はきちんとした教育をする場であり、教育者は信頼できる者であるという「前提」があるようですが、私はその「前提」が間違えていると思っています。学校関係者とか教育者とかもこのブログを読んでくれていますので、そういう方には不快な気持ちにさせてしまうかもしれませんが、子供を学校に預ければきちんとした教育をしてもらえるなんてこれっぽっちも思ったことはありませんし、担任を信頼したこともこれっぽっちもありませんし、今の学校からいじめがなくなるなんてこれっぽっちも思っていません。

もちろん、素晴らしい先生も少しはいると思いますが、そういう先生に当たったらラッキーくらいに思っておくべきだと思います。私も幼稚園から大学までの20年近い学生生活の中で、当たってラッキーと思った先生は2人だけでした (というのはこのブログでも以前書いたとおり)。

先日、私の母校もいじめが発覚し、生徒数名が無期停学になったと大きく報じられていました。発覚した原因は、動画をネットに流し、閲覧者が学校に通報したようです。

そのニュースが流れた時、たまたま同じクラスだった同級生と会ってたんですが、その友達も私と同じ反応なわけです。「アホやな」で終わり。アホなのは、動画をネットに流したことに対して。母校でいじめが起こっていることとか、教諭がいじめに気付かないこととか、そんなことは何とも思わない。

「なんで生徒の声に気付かないんだ!」 なんて批判する人もいますけど、気付くわけないと思います。だって、私が生徒のとき、私に関心持ってくれた教育者なんて誰一人としていませんでしたから。上の2名を除いて、話しかけてくれることもなければ、気にかけてくれることもない。こちらから頼ることもなければ、依りかかることもない。枠からはみ出したら罵声を浴びせられる。出た芽を伸ばしてもらったことはなく、出る杭を打ちのめされる。個性は徹底して潰される。学校なんてまるで共産主義国家。同級生からのいじめよりも、教育者からのいじめの方が陰湿だったこともある。同級生の名前を忘れても、そういうやつらの顔と名前は今でもはっきりと思い浮かぶ。

学校なんてそんなもの。

だから学校に何か期待すべきではないし、教育者は信頼の対象でもない。監視の対象。
本当の教育は親がやるべき。それも自分の頭でモノを考える子に育てるべき。
そして、指導者としての資質も技量もない教育者を心の底から軽蔑できる人間になればいい。
というのが私の考えです。


【オススメ本】
森信三著 「母親のための人間学」「父親のための人間学」
土井隆義著 「友だち地獄―『空気を読む』世代のサバイバル」