先日紹介した東浩紀著 『弱いつながり』は、ネット上での「強い絆」”人間関係”を遮断して、『弱いつながり』を大切にしていこうという提言をしていました。

今回紹介する 「ネットで『つながる』ことの耐えられない軽さ」は、芥川賞受賞の藤原智美さんが、ネット社会到来により、(人間関係ではなく)”ことば”がどのように変わったのかという点にフォーカスが当てられています。

戦前は家族、地域社会、職場、学校といった「共同体」という”リアルなつながり”があったが、戦後あたりから「個」の自立が求められるようになってきて人間関係が希薄になってきた。ロバート・D. パットナムの『孤独なボウリング』(2006)において、米国でボウリング場が一人でボウリングに興じる人の「孤独」の場になってしまったことが描かれたように、近年社会のコミュニティが崩壊した。他者とつながりたい、他者から承認を得たいという人々の願望を満たすように登場したのが「ネット」。藤原智美さんは、SNSなどは「つながりたい」という願望が電子的に組織されたものだ(P213)と述べています。

本書では、「個」の自立の時代からネット社会への変遷の歴史を、日本語の「書きことば」が衰退から「ネットことば」の勃興の歴史として描かれています。

ネット登場前の「個」の自立の時代は、本による「書きことば」によって自己との対話を行ってきたし、これが思考を深めることになったし、生きのびる力を得ることにもなった(本書では「アンネの日記」を事例に挙げています)。

しかし、ネット社会になり、人々が安易なネットのつながりを求めるようになってから、「アンネの日記」のように「書きことば」で書くという行為によって自己との対話をすることがなくなった。藤原智美さんは、日本語が衰退すると危惧されています(第3章)。

日本語が消えてしまうということはないでしょうけど、明らかにネットへの接続時間は増え、本を読む時間、自己との対話の時間、思考の時間は激減しているという人が大半ではないでしょうか。

藤原智美さんは言います。

「1日24時間、あなたはどれだけの文字を読み、書いたでしょうか? 画面ではなく紙の上に。」

「つながり」とか「絆」というものを求め、大切なものを失っている可能性があります。
自分を支える”ことば”の軸足をどこに置くべきなのか ――ネット断食は現実的ではないとしても、「つながらない価値」というものの価値はとてつもなく大きいのではないか、そんなことを感じた一冊でした。


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