ノーベル賞を受賞された中村修二さんが、日本に帰国され、母校などで講演をされていたようで。
今から8年以上前のことですが、大阪国際会議場で開催された『ベンチャー2006KANSAI 』というシンポジウムに中村修二さんが登壇・講演されたことがあります。
この講演を聞いた時のメモがまだ私の手元に残っています。
『既成概念への挑戦が生む新技術』という講演で、青色発光ダイオードの発明に至るまでの話などもされていたのですが、私が特に印象に残っているのは、中村修二氏が渡米し、日米の学生の違いを見て、日本の教育に絶望したという話。
ざっくり要約すると、次のような内容でした。
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日本でも米国でも、小学生までは違いがない。しかし、中学生、高校生になったら違いが生まれる。米国の場合、中学生になっても、高校生になっても、小学生と同じような好奇心をもって大きくなるが、日本の場合、そのような好奇心はない。米国ではサイエンスの雑誌などが学生に売れるが、日本では売れない。日本の場合、サイエンスに対する好奇心より、東大に入ることを目的にするような学生が生まれてしまうからだ。その結果、大学生になると、日米の研究に対するやる気が全然違う。
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そして、中村修二氏は、日本の教育システムの改善を訴えていました。
「その原因は、大学入試制度にある!」
「大学入試は、超難関ウルトラクイズにすぎない!」
「日本は大学入試制度を廃止せよ!」
「日本の教育システムは腐っている!」 と。
このあたりの話は、相当怒り口調でした。
で、このような教育システムの”不備”により、大学生のやる気に差が生じた結果どうなったかというと、米国の学生はベンチャー志向・起業志向であるのに対して、日本の学生は大企業志向・永遠のサラリーマン志向になってしまった。
中村修二氏は、「日本でベンチャーが育たない最大の癌は、大学入試制度である!」 とも言っていました。
8年前の講演内容を何で今でもはっきりと覚えているかというと、メモを取っていたからというのもあるのですが、中村氏の講演内容にことごとく同感だからです。
私は、大学までエスカレーターで進学できる高校に行きましたが、同時、めちゃくちゃ数学が好きだったことから、数学が先行できる学部がない上の大学には進学せずに別の国立大学に行きたかったんです。で、高校入学直後から同級生には内緒で駿台予備校にも通っていました。しかし、やってるうちにだんだんとバカバカしくなってきて、数ヶ月で駿台を辞めました。
余程のことがない限り、99%の生徒が上の大学に進学できるという高校で、おそらく日本一自由ではないかと思う校風の中、やりたいことをトコトン打ち込めるという環境が与えられていました。周りの友達は皆人生を味わい尽くしている中で、自分だけ学校が終わったら1時間かけて予備校に通い、大して面白くない授業を聞いていることに疑問を感じてきたのです。予備校で面白くない知識を詰め込むよりも、やりたいことにトコトン打ち込んで、いろんなことに没頭して、遊び倒した方が長い人生にとってきっとプラスになるに違いないと思ったのです。
そう思った瞬間、数学者になる夢も、国立大学に行くという目標も消えました。一瞬の決断だったと思います。それから3年間、やりたいことに没頭したように思います。クラブ活動を掛け持ちしたり、早朝からアルバイトをやったり、海外の高校に語学研修に行ったり、ホームステイしたり、アメリカ一人旅に行ったりした経験により、人生の骨格を築くことができたと言ってもいいくらいです。私にとって高校3年間というのは、「かけがえのない3年間」でした。結局、大学受験はしませんでしたが、全く後悔してませんし、しなくて良かったと思っています。
大学はエスカレーターでそのまま上に上がりましたが、大学に入ってからは、教育する側も教育を受ける側も、あまりのやる気のなさに失望し、ほとんど通っていません。親には申し訳ないですが、通う時間が無駄だと思いました。日本の教育システムというのは、若者の好奇心を奪い取り、再び火がつくことがない暖炉の底の燃えカスのようなものを量産しているだけだと思います。中村氏のいうように、大学入試制度も根本的な原因の一つだと思います。
だからといって、私が政治家になって日本の教育システムを変えてやろうなんて微塵も思いませんし、教員免許を取って教育者になろうとも思いません。だいたい、教員免許がなければ教壇に立てないという文科省の考えが腐ってると思っています。私のたくさんある夢の一つは、「今の若い人たちに、自分が思っている以上に可能性があり、未来は変えることができる」という気付きを与えられるような、学校教育とは違う何らかの「教育」をビジネスとして行うことです。天の時が来たら直ぐにやれるよう、その準備をしています。
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2014/10/9 ノーベル賞 中村修二氏 「地道な努力をコツコツこなしていれば、必然的に職人的な技能も可能になる。」
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ざっくり要約すると、次のような内容でした。
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そして、中村修二氏は、日本の教育システムの改善を訴えていました。
「その原因は、大学入試制度にある!」
「大学入試は、超難関ウルトラクイズにすぎない!」
「日本は大学入試制度を廃止せよ!」
「日本の教育システムは腐っている!」 と。
このあたりの話は、相当怒り口調でした。
で、このような教育システムの”不備”により、大学生のやる気に差が生じた結果どうなったかというと、米国の学生はベンチャー志向・起業志向であるのに対して、日本の学生は大企業志向・永遠のサラリーマン志向になってしまった。
中村修二氏は、「日本でベンチャーが育たない最大の癌は、大学入試制度である!」 とも言っていました。
8年前の講演内容を何で今でもはっきりと覚えているかというと、メモを取っていたからというのもあるのですが、中村氏の講演内容にことごとく同感だからです。
私は、大学までエスカレーターで進学できる高校に行きましたが、同時、めちゃくちゃ数学が好きだったことから、数学が先行できる学部がない上の大学には進学せずに別の国立大学に行きたかったんです。で、高校入学直後から同級生には内緒で駿台予備校にも通っていました。しかし、やってるうちにだんだんとバカバカしくなってきて、数ヶ月で駿台を辞めました。
余程のことがない限り、99%の生徒が上の大学に進学できるという高校で、おそらく日本一自由ではないかと思う校風の中、やりたいことをトコトン打ち込めるという環境が与えられていました。周りの友達は皆人生を味わい尽くしている中で、自分だけ学校が終わったら1時間かけて予備校に通い、大して面白くない授業を聞いていることに疑問を感じてきたのです。予備校で面白くない知識を詰め込むよりも、やりたいことにトコトン打ち込んで、いろんなことに没頭して、遊び倒した方が長い人生にとってきっとプラスになるに違いないと思ったのです。
そう思った瞬間、数学者になる夢も、国立大学に行くという目標も消えました。一瞬の決断だったと思います。それから3年間、やりたいことに没頭したように思います。クラブ活動を掛け持ちしたり、早朝からアルバイトをやったり、海外の高校に語学研修に行ったり、ホームステイしたり、アメリカ一人旅に行ったりした経験により、人生の骨格を築くことができたと言ってもいいくらいです。私にとって高校3年間というのは、「かけがえのない3年間」でした。結局、大学受験はしませんでしたが、全く後悔してませんし、しなくて良かったと思っています。
大学はエスカレーターでそのまま上に上がりましたが、大学に入ってからは、教育する側も教育を受ける側も、あまりのやる気のなさに失望し、ほとんど通っていません。親には申し訳ないですが、通う時間が無駄だと思いました。日本の教育システムというのは、若者の好奇心を奪い取り、再び火がつくことがない暖炉の底の燃えカスのようなものを量産しているだけだと思います。中村氏のいうように、大学入試制度も根本的な原因の一つだと思います。
だからといって、私が政治家になって日本の教育システムを変えてやろうなんて微塵も思いませんし、教員免許を取って教育者になろうとも思いません。だいたい、教員免許がなければ教壇に立てないという文科省の考えが腐ってると思っています。私のたくさんある夢の一つは、「今の若い人たちに、自分が思っている以上に可能性があり、未来は変えることができる」という気付きを与えられるような、学校教育とは違う何らかの「教育」をビジネスとして行うことです。天の時が来たら直ぐにやれるよう、その準備をしています。
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