先日、バンコクに行った時の話。

ホテルで一人でいるのもなんだし、屋台をはしごし、その後、外国人観光客(欧米人)のたまり場みたいになっているカフェバーをはしごし、夜中までしこたま飲んでいました。バーでは、日本人はほとんどおらず、欧米人と店の従業員がどんちゃん騒ぎをしているというありがちな状態でした(こういう所に来ると、「日本人はどこへ行ったんや!?」って思いますね)。

一人客同士が乾杯し、そこに仕事をしているのかどうかよく分からない従業員も混じってきて乾杯し、何やらよく分からない状況になってましたが、「まー、楽しいからいいやー」みたいな感じで飲み続けてました。

最後に行ったカフェバーは、深夜にもかかわらず100人位の客が飲んでました。従業員も10人位いました。その従業員の中に、一人だけ20歳前後と思われる笑顔が最高の女性がいました。マナカナ似の子でした。タイは「微笑みの国」と称されますけど、この国に来て初めて「微笑みの国」の名に相応しいと思われる女性に会ったような気がします。

で、「微笑みの彼女」の笑顔が余りにも眩しいので、「君の笑顔は最高だね」みたいなことを言ったんです。
(もちろん関東弁ではなく英語で。)

予め言っておきますが、ナンパしたわけじゃないですから。
「異文化コミュニケーション」ってやつです。

すると彼女は屈託の無い笑顔で喜びを表すのですが、これがまたたまらんのです。メチャクチャかわいい。

中年オヤジがキャバクラにハマる理由が少し分かってきました。

若干酔っ払ってましたので、「笑顔いいねー」みたいなことを繰り返してたような気がします。

そうこうしているうちに、彼女が時折切ない表情を見せるので、何があったのかを聞いたら、私の腕を指さして言うんです。

「あなたはホワイトだけど、私はブラックでしょ。だから・・・」

私はかわいくないのよ、幸せじゃないのよ、といったネガティブなコトバが続くことが分かりましたので、

「そんなこと問題ないじゃないか! 気にするんじゃないよ!」と瞬時に会話を遮ったのですが、そう言うのが精一杯。それ以上コトバが出てきません。

ちなみに、最近の私は訳あって腕だけ日焼けしてるので、彼女より色黒なんですけど、そういう問題ではないので、それ以上何も言いませんでした。


それからまたしばらく飲んでましたけど、何を喋ったのか余り覚えてません。
店を後にしてからも、あの言葉と、その時の彼女の表情がずっと残って、踏み出す足が重かったんです。

店中の観光客を幸福にしていた彼女。
しかし、自分がブラックであることを不幸だと感じている。
それに対して、「気にするな!」としか言えない私。

幸せってなんだっけ・・・、みたいなことをトボトボと歩きながら考えました。

そうやってホテルに向かっている途中、片道3車線の大きな通りを横断する歩道橋を登ると、その上で信じられない光景が目に飛び込んできました。



時は24時か25時頃だったと思います。

歩道橋の上で、1歳くらいの女の子と、3歳くらいの男の子が寝ているのです。布団も敷かずに地べたの上で。
その横で母親が壁にもたれて座っている。子供の年齢から言えば母親は30代位のはずですが、見た目は50代・60代に見えるほどに老け、着ているものはボロボロ、髪型はボサボサ。


「えっ・・・・(絶句)」

スゴイものを見てしまったら、瞬時に目を逸らしてしまいますね。
この家族の横を通り過ぎて、歩道橋の反対側へ向かっていこうとしたのですが・・・
気になって、階段を降りるところで立ち止まって振り返りました。

1歳くらいの女の子と、3歳くらいの男の子がカチカチの地べたの上で寝ているのです。
歩道橋の下は6車線の道路。歩道橋の上はバンコク市内を横断する電車が走っています。
バンコク市内で最も人通りが多く、空気が汚いと思われる路上で、「お前は何してんだ・・・」と呆然となりました。

歩道橋の階段をいったん降りましたが、また歩道橋の上に戻りました。
この家族の前に行き、ポケットから取り出した札束から500バーツ(約1500円)を抜き出し、母親に渡し、再び階段を降りていきました。

タイは、20バーツ(約60円)もあれば屋台で食べるものを買える国です。500バーツあれば、子供たちも好きなものを食べてくれると思います。

ホテルに帰ってからも、あの信じられない光景が頭から離れませんでした。
大人がアスファルトの上で寝ている姿は、タイに限らず日本でも見かけます。
しかし、幼児はないだろ・・・。

なんとなく、ポケットから札束を取り出し、どれだけのバーツが残っているか数えたんです。そしたら、1000バーツ程残っている。次の日は朝から空港に行って日本に戻る予定なので、空港までのタクシー代(200〜300バーツ)さえあれば他にキャッシュを使うことはないし、バーツが余っても日本円に換金するつもりはない。だったら「残りのキャッシュをあの家族に渡そうか・・・」と頭をよぎりました。
しかし、若干の葛藤がありました。
「先ほどの500バーツに加えて、またバーツを渡すことは、あの家族にとって良くないことかもしれない」と。

こういうことを言うと反感を買うかもしれませんけど、路上生活者や(日本の)生活保護受給者の中には、「働けない」のではなく「働かない」という人が少なからずいます。だから、手元に換金もしないであろうバーツが余っていたとしても、これを渡すことはあの母親にとっても、子供たちにとっても良くないことかもしれないと思ったのです。

しばらく悩みましたが、再度ホテルを出て、あの歩道橋に向かいました。
あの罪のない子供たちに生きて欲しいと思ったからです。
母親に、さらに500バーツを渡しました。タイ人特有の両手を合わせて深くお辞儀をする姿勢をしながらタイ語で何か言ってましたが、何を言ってるかは分かりません。「ありがとう」と言ってたのだと思います。英語が通じそうにもないので、私は何も言わず、私のことに気付かずに口を半分開けながら熟睡している子供たちの頬を撫でた後、その場を去りました。心の中で子供たちに「しっかり生きてくれよ!」と叫びながら。



ホテルの帰り道、もう歩けずに、歩道に座り込みんでしまいました。
ショックが大きすぎました。

色々と考えました。

1回目と2回目で母親の表情が違ったなぁーとか、路上生活者にしては身軽すぎるんじゃねーかとか、そもそもなんでこんな空気の悪い歩道橋の上を寝る場所に選んでいるんだとか・・・。
そう考えだすと、あの母親、単に子供を利用しているだけじゃねーのか・・・、とも疑ってしまいますが、真実は分かりません。悲惨な光景であることは事実。

ふと、「微笑みの彼女」のことを思い出し、幸せってなんだっけ・・・、みたいなことをまた考えたんですが、すると、「歩道橋の上の家族はもしかして十分幸せなんじゃねーの?」と思ったのです。バーツを渡した私よりも幸せなんじゃないか、心が満たさせれてるんじゃないかと。

そこそこ稼いでいると思うけど、自分がブラックであることにコンプレックスを持ち、不幸だと決めつけている「微笑みの少女」もいる。そのすぐそばに布団の上で寝ることもできない路上生活の母子家庭の人もいる。東南アジアには何度も訪れていますが、色んな場所があり、色んな人に出会います。その都度、日本という国は平等で守られた社会主義国だと思いますし、日本に生まれたというだけでも幸せなことかもしれないと思うことがあります。しかし、本当に僕たちは幸せなんだろうか。

幸せの定義なんてものは、自己啓発書を何冊読んでも、書いていることが異なります。つまり、幸せは自分が定義するものであり、他人のそれとは異なっていいのです。自分が幸せと思うことを他人は見下してくるかもしれないし、他人が幸せと思うことを自分は冷たい目で見てしまうかもしれない。でも、自分が幸せであるならば、それでいいわけで、他人と比較するものではない。生まれた場所や環境、皮膚や肌の色、容姿や体型、学力やお金、人は色んなことで辛い思いをするけど、別にそれで不幸になるわけではない。



ふと、カバンの中から『森の生活』(ソロー著、岩波文庫)を取り出しました。これまで何度も読んできた本ですが、今回の旅の間にまた読み返そうと持ってきたのです。

ところどころに赤ペンの線が引かれています。ページをめくっていると、あるところで時間が止まりました。

「たいていの人間は、静かな絶望の生活を送っている。」

「自分というものをどう考えるかが、その人間の運命を決定、もしくは示唆するのである。」




ホテルに再び戻り、無駄に広いキングサイズベッドに一人寝転びながら、『森の生活』を再び読み返しかえしました。

人生で最も大切な時間を過ごしたように思います。

とてつもなく長かったバンコクの最後の夜は次第に明けていき、朝には違う世界が流れていました。