独立して7年を超えたが、独立して以降、仕事のほとんどは東京である。
その割合は年々増加しており、昨年も一昨年も新幹線と飛行機の移動は年間100回を超えている。

多くの人から「なぜ東京に引っ越さないのか?」「引っ越した方が楽ではないか?」と言われる。しかし、私は今の生活スタイルを変えるつもりはない。facebookをご覧頂いている方にはご承知の通り、関西のとある山の上に土地を探している。新大阪駅や伊丹空港へ通うのは今よりも遥かに不便になるが、そんなことは別に構わないのだ。

最寄り駅もなく、近くにコンビニ1軒もない、街灯すらないかもしれない。冬は道路が凍結する、猪だって蛇だって共生する。造成されているような場所はない。登記簿上も山林である。そんな場所を「居心地の良い」と思う理由なんて論理的に説明できない。「わたしはここが大好きだ」以外に理由はない。そこには、日常とか非日常とか、常識とか非常識とか、利便性とか安全性とか、一見正当性ある反論でさえ受け付けない何かがあるのだ。




梨木香歩著『西の魔女が死んだ』という小説を読んだ。
なんだか、とても良い作品だった。

主人公のまいは中学校の雰囲気に馴染めず、田舎の祖母(=魔女)のところで一時暮らすことになる。イギリス人の祖母と二人で、田舎でしか出来ないことを経験したり体験したりしながら、自分の希望も幸せも何もかもを自分で決めること、自分で決めたことをやり遂げること、という自立の大切さを学んでいく姿を描いている。

主人公のまいにとって、祖母の家は「居心地の良い場所」だった。祖母の家の裏山にある日当たりのいい空き地があり、そこにある切り株に腰をかけると、気持ちがしんと落ち着いて、穏やかな平和な気分に満たしてくれる。描写が実に素晴らしい。

「若い楠や栗の木、樺の木などが周りをぐるりと囲んでおり、まいはそこに座っていると、何かとても大事な、暖かな、ふわふわとしたかわいらしいものが、そのあたりに隠されているような気がした。小さな小鳥の胸毛を織り込んで編まれた、居心地のいい小さな小さな巣のようなもの。
 『わたしはここが大好きだ』
 まいはだれにともなく呟いた。」(P64)




以前パラオに行った時に感じた極上の居心地。太陽の光、新鮮な空気、水の音、鳥の鳴き声、風の音。それ以外、何もない非日常の空間で、カヌーを海に浮かべてただぼーっと過ごしたあのひと時に生命を感じた。

誰しも「居心地の良い場所」というものがあると思う。人間って、それを求めて生きているようなものではないだろうか。それは日常にはない世界だと思う。でも、それが日常になれば幸せだろうな。



西の魔女が死んだ (新潮文庫)西の魔女が死んだ (新潮文庫)
著者:梨木 香歩
販売元:新潮社
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